あや ふじお
は~とふる・じゃ~に~
講演テーマ例
「サルトル」「ニーチェ」はこの様に語っている
問い:今からでも人生はやりなおしるだろうか
答え:人間は自ら作るところのもの以外何物でもない(サルトル)
問い:身体が衰えても、人が長く生きる意味とは何なのか
答え:生きるとは死のうとする何物かを絶えず自分から突き放す事である(二―チェ)
哲学には答えが無く永遠のエックスを追い続けるもので、自分の答えを見出すまで、深く考える。その積み重ねである。
「心の揺らぎ」「感情のもつれ」「平常心」・・その先にある人生
1. アメリカの精神科医療の一つに「アティデュ・ディナール ヒーリング」というものがあります。その療法の特徴
2. 誰の心の中にも潜んでいる「恐怖心」や「不安感」を持ち続けないで「心の安らぎ」を得る作法
3. 「覚悟」「悟る」心のあり方を変えると、世界が変わる。「心のスイッチ」の切り替えで「不動心」が得られることを語る。
「自問・自答」の連続性が自分自身を変える。
1. 「自問・自答」はアイデンティティの確立に大きく役立つものである。今の自分をどう変えるか反省の上に立つものであると言える。
2. 過去の自分自身を引き継ぎ、未来の自分を見据え、自分を考える
3. 他人との違いを深く考え、身につけることが必要で「自問・自答」で自分自身を変える行動が目的であるが、自分自身を変えたいと思う心は「変わらない」としなければならない。
99. こころ
「かたよらないこころ、こだわらないこころ、とらわれないこころ。ひろく、ひろく、もっとひろく」-これは、「シャカ」の悟りを表現したものだそうです。つまり、この世のあらゆるすべての物事は「空(くう)」であり、実体がなく何事も「こうだ」と決めつけることはできないという教えであると、駒澤大学・仏教学部の吉村誠教授は話されています。広大無辺の「こころ」。この「こころ」という精神的な存在を私なりに考えてみましたが、考えれば考えるほど「こころ」とは一体どういうものなのか、わからなくなってしまいました。当然ではありますが、自分にその本質がわかるわけはなく、「こころとは何ぞや!」とお手上げ状態なのです。そもそも、私のような人間がこのテーマについて何なのかを求めて考えようとしたこと自体が「思いあがり」なのだと気づかされるのが「オチ」です。
宗教学者の山折哲雄氏によると、日本における「こころ」と「心」は、それぞれ字体の違いを表すのと同じように、その奥深さや広がりも違うのだそうです。和語の「こころ」と漢語の「心」では言葉として文字から成る音の響きが違うことはもちろん、漢語の「心」は中国文明の風光がにおいたつとともに、日本と中国間を行き来した知識人の活動が映し出されていますし、和語の「こころ」には日本で暮らす一般人である「我々」が過ごす日常的な「喜怒哀楽」におけるすべての姿が感じられる、とも述べられています。
和語の「こころ」にしても、漢語の「心」にしても、その存在をなんとなく感覚として認識はしていても、その実体はまったくわかりません。どんな形をしているのか、なぜ人間だけがこれほどまでに発達したのか、考えることと何が違くてどう関わっているのか、実際には肉体のどの部分に存在しているものなのか、人の「意志」と「こころ」と「心」の違いは何なのか、などわからないことばかりです。
また、俗言ではありますが「こころ」の重みは約2グラム程度で、人は死ぬと魂が抜けることから体重が生前よりも2グラム減るのだそうです。本当なのでしょうか。
和語の「こころ」も漢語の「心」も変幻自在の存在です。したがって、私にとってこのテーマは追究不可能だと感じています。もちろん、これからも考え続けていこうとは思いますが。
98. 馬の耳に念仏
これは、日本古来より伝わる「ことわざ」の一つです。道理の通じない相手に向かって何を言っても無駄である、という意味ですが、これは自分が他者を諭すときに相手の理解力のなさを嘆いている言葉とも受け取れます。また、アメリカには「彼らが私の言うことを理解しようとしないから、わからないのだ」という言葉があります。どちらにしても、言葉というものはその言葉を聞こうとする意志のある人の心にしか届かないということです。無視しようとする相手には何を言っても「ムダ」である、とも解釈することができます。
一方、話を聞く側にたって考えてみると、聞きたくもない話を相手から語られたとき「反発」するのか「無視」をするのか、どちらの対応をするか迫られます。その結果、大人の対応として「無視」をする、あえて自分は「馬の耳」になる、といった対応をします。これは、その場の空気を荒立てない手段として選択した策ともいえます。会話は、自分と相手がいることではじめて成立するものですが、一方的な発言ではどちらかが必ず傷つくことにつながります。「馬の耳に念仏」で、相手がちっとも自分の言葉を理解しようしないとき、嘆く前に一度、自分の行動や発言について振り返ってみることも必要でしょう。ひょっとしたら、相手を「馬の耳に念仏」にさせているのは、聞く人の心を無視して、自分の考えを一方的に押しつけているかもしれないからです。
言葉は、その言葉を聞こうとする耳にしか伝わらないと思います。伝わらなければ、その言葉の意味が相手の心に届くことはありません。それならば発想をかえて、自分がまず語るよりも先に相手の言葉を聞こうとする心を持つことが大切で、それは相手の人格を尊重することにもつながるのではないかと私は考えます。
「人の話を聞くとき、相手の目をしっかりと見ている人には伝わる。」-これはあるスポーツ関係に携わる指導者の言葉です。その人は自分が話すときには相手の目をしっかりと見つめて話すことを心がけているそうです。そこから自分と相手との間に信頼感が生まれるからだ、と言われていました。
相手の目を見て対応する。一説には、「ケダモノ」は自身が戦うとき相手の目をしっかり見つめているとか、「目は口ほどに物を言う」などといった例えもあります。「目」を見つめ合って対話をするということは、コミュニケーションの基本なのでしょう。考えてみれば、会話は一種の戦いともいえる場面でしょうから。
97. ロッコンショージョー
漢字で書くと「六根清浄」となります。この「六根」とは汚れや罪の基本となる「六つの根」のことです。六つの根とは「眼・鼻・耳・舌・身・意」を表し、眼は不浄のものを見る、鼻は不浄の匂いを嗅ぐ、耳は不浄の音を聞く、舌は不浄のものを味わう、身は不浄のものに触れる、意は不浄のことを思う、という意味です。これを仏教では「六根罪障」というそうです。また、「清浄」とはこれらの不浄なものや事柄を清めることです。つまり、「六根清浄」とは「六根」を清らかにして身も心も清浄になることを願って唱える文言です。
この言葉が一般に広がったのは江戸時代で、富士山信仰の麓の人々が声を合わせて山を登るときに、「ロッコンショージョー」「六根清浄」などと唱えたのがきっかけだといわれています。聖なる山の頂に登ることで、限りなく清浄で綺麗な心と体になることを願ったものだったのだとか。これは、やがて神様や仏に自分がそうなりたいと願う祈りになるだけでなく、人々の心の支えにもなりました。
この「六根清浄」は、一般の俗語であり、仏教では「六根浄」と略して語られていたそうです。その「ロッコンジョー」が転訛して、人が立ったり座ったりするときに思わず口から発する言葉である「ドッコイショ」になったという説があります。
何かに向かって心をこめて唱えること―それは言葉を声に出してみるのも良し、声を殺して心の中でそっとつぶやくのも良し。その人なりの方法で「六根清浄」を唱えることは、長い経文を読み上げるよりも、手っ取り早くその世界に入りやすいという利点もあったのだと思います。人の心は常に揺れ動いているものです。ひと時の心の安定を「六根清浄」の四文字を唱えることで多くの人々が救われ、また、仲間との一体感も生まれたのだと思います。
96. 人生の意味
「人生に意味があるのかという問いは、人生の外部から発せられるという点で子供っぽい。」-これは、科学哲学者の戸田山和久氏が発言したものです。戸田山氏によると、「人生の意味とは」という問いかけは、人々が日々の生活の中でもがきながら作り上げていくものであり、人生に果たして意味があるのかという問いかけに対して、答えに苦しみながらも、「生きる」という事柄において、人も自分も共に生きる価値があるものとして生きることに努めているのが人生と言えるのだそうです。
一方、人生に意味を求めるのは全く無意味だという東欧の哲学者もいます。彼の考え方によれば、この世に生まれることは大変な禍(わざわい)であるというのです。
また、私の友人は「自分はこの世に生まれたいと思って生まれたわけではないから、人生の意味など考えたことはないが、生まれた時から確実に決まっているのが『死』であり、いかに死ぬか…そういう死に方の意味の方が自分には重い課題で、『死』こそが全てにおいて自分の責任によるものだから、そのためには生き様が大事だと思っている」と、友人独特の人生観を語っていました。確かに『死』はいつか必ず訪れるものですが、それが実際にいつ訪れるのかわからないのもまた『死』だと思います。「人生の意味」をポジティブに考えるのと、ネガティブに考えるのとではまったく違った結論になります。私は『生』や『死』について、深くは考えていません。「人生の意味」というものを考えても仕方ないのだと思っています。
先述した科学哲学者の戸田山氏は「どんな人生も一様に生きるに値する」と述べています。私は「人生の意味」を考えるよりも、自分の『死』の間際にそれまで過ごしてきた人生を振り返ったとき、「私は生きた」と言えるように、日々の暮らしを大切にしていきたいと考えています。
95. 自殺
一般に自殺という行為は、個人的理由が主体です。それは個人の様々な状況が自殺の背景になっていると思われるからです。
また、一見社会とはあまり関わりがないように見える「集団自殺」について、時折社会現象の一つとしてニュースになることがあります。こういった「集団自殺」は、社会的連帯感の強い団体や組織などにある「強い絆」により、通常の社会生活をしている人々とは違った感情の深さが原因で起こると言われています。
このような「自殺」行為について、フランスの社会学者のエミール・デュルケーム氏は次のように理論分析しています。自殺には3つのタイプがあり、(1)現実社会の中で自分だけが孤立したと思い込むなど、個人的な理由のみが原因となるケース(2)集団によってある一種のヒステリー状態からそのエネルギーに流され、自分の好き嫌いに関わらず自殺の道を選ぶケース、(3)アノミー的自殺といった、経済や政治などの不況時に多く見られ、さまざまな社会による拘束力が弱体化し、秩序が不安定な状態になることで自殺者が増えるケース、などと結論づけています。
私自身、自殺という行為は、単に個人的な理由から自ら生命を絶つものであるとばかり思っていましたが、社会学者が「自殺」という事柄をテーマに広い視野を持って研究すると、このような違った視点から見ることができます。
また、子供のイジメによる自殺やパワハラを受けて自殺に追い込まれる青年、オーバーワークが原因で自殺する会社員などについて、私は主にマスメディアを通じて知ることが多いのですが、このような自殺という「不幸」な行為をこの世の中から根絶させることは不可能なのでしょうか。なぜなら、これらの事柄はすでに重大な社会問題であるとつくづく感じているからです。
94. 哲学的対話
哲学カフェが各地で盛んだという記事を読んだことがあります。「哲学」と「カフェ」私は当初、不思議に感じていました。私にとって、「哲学」とは一人で思案することであり、多くの人々と語り合うことではないと考えていたからです。「人生とは・・」「生きるとは・・」「幸福とは・・」など、自分に設問してじっくりと自分でその思考の方向性を考える・・・。これが哲学だと思っていたからです。もちろん私は非常に軽々しい「マイ・フィロソフィ」のレベルですが・・、哲学は結論出ない学問と言われています。カントもヘーゲルも西田幾太郎も、その他名だたる哲学者も「人生」とは、こういうものだと結論づけた学者はいないと、物の本には書かれています。哲学の「哲学たる学問」のいわれは「出ない」「出せない」という結論に向かって様々な角度から考え結論を見出そうと努力し続けるのが本質の学問だからだと思っていましたし、現在でも私本人はそう考えています。ひるがえって「哲学カフェ」は男女の大人、子供、学生、会社員、自由業、主婦等全ての垣根を越えて、それぞれ、哲学的と自分自身で感じる話題を自由に語り合うのを目的としている集まりなのだそうです。「哲学」は議論するものではない、そう思い続ける私には、遠い世界の様に思えていましたし、何か理解しえない世界と、少し離れた目線でいました。しかし、真の目的を
知ったとき・・、そうか、そういうことなのか・・。そうなんだ・・と、ストンと落ちたものがあります。私の哲学的感覚です。「哲学カフェ」における「哲学対話」というのは、問題・テーマ等の解決を目指した討論ではなく、日頃、自分をしばっている諸々の感情から、共に放たれる「集い」なのだと・・・ストンと落ちた感覚によって、私の「哲学」に対する思いの広がりでありました。
93. 私を去る
「チームのために自分の感情を捨てる」フォア・ザ・チーム、この考え方を忠実に実行したあるプロ野球の選手がいます。その選手の行動は、一見すると自己中心の身勝手な行いのように思います。全た練習の後、自分独自のトレーニングに力を注ぎ、仲間との飲食の付き合いは極力避けて、野球選手として技術の向上に全てをかける生活でした。これには理由がありました。その選手はかつて、自分の守りのミスから天王山といわれた大切な試合で負けてしまい、更に自分が極度のスランプに落ち込み、その負け試合から連敗が続き、中心選手の一人であった彼は、その責任を一身に背負って、その責任感と思い込みで苦しいシーズンを送った経験があるからでした。その選手が吹っ切れたのは、チームは選手全体が一つになって闘うから成り立つので、自分はその歯車の一部であるにすぎない、自分がチームを背負っていると考えるのは「思い上がりではないか・・」と、当然スランプや失敗の責任を十分に感じた上で自分を捨てる・・・この事に気づいたのです。彼は「失敗の仕方を学んだ」と語っています。「失敗」した事を必要以上に受け止めずに、気持ちを切り替えて、失敗を取り返す活躍をする事に全力をあげる。「ともかく、どうあれ勝てばよい」つまり、それ迄の「チームのために自分が」という自分の在り方を捨てたのです。「則天去私」という言葉があります。意味は「私を去る」です。・・つまり、「私を無にする」という事です。これは明治の文豪、夏目漱石の造語だといわれています。実は自分をとりまく全てに思いを馳せる事は、先ず「自分を無い」ものにする事からだという意味です。今回のテーマとして取り上げさせていただいたプロ野球選手は、この漱石の「則天去私」を体得したという事でしょう。
92. 生きている言葉
その場面で最もふさわしい言葉を選ぶのは実はとても難しいことなのだな、と近頃思うようになりました。言葉は人の口から発しられた瞬間に生きていなければ意味がないからです。心の暖かい人に対して「暖かい人」と表現する場合、どのような言葉が適切なのか、言葉選びに迷ったりするときがあります。「暖かい」という言葉のニュアンスにはその内側の意味として「親切」とか「上品」とか「やさしい」とか様々な言葉が思い浮かびます。今の場面では、どの言葉がベストチョイスなのかと、思案してしまいます。「言魂」という表現がある様に、言葉には古くから魂がこもっていると考えられていました。まさに生きている言葉そのものという発想です。「言語哲学」という分野があります。カール・クラウスやウィトゲンシュタイン等が「言語論」等展開して、この問題に触れています。深く考えて言葉を発する人の言葉を聞いた時、その人物の心の深さを聞き手は感じます。が、何も考えずにその時の思い付きのような状態で言葉を発した人に対しては、聞き手側の人は「この人は何も考えていない、浅い人物だ」と感じとります。「・・・だけに言葉の選択は大切なのだろうと考えます。生き生きとした言葉には生命が宿り、先の「言魂」となるのだと思います。そして、言葉を選ぶという作業をする事によって、自分自身の考え方、思考能力が向上し大きく開けて行き、本人にとって精神面、人間性の進歩につながって行くのだろうと、私は想像するのです。「生きている言葉」は発言するその人そのものの人間的ポジションを示すバロメーターなのかも知れません。
91. 「無とは・・」
物の本によると「無」は「空」ではないないのだそうです。「空」はカラッポ、将に何物もそこに存在しない状態とかで「無」は「無」という状態がそこに「有る」事を意味する考え方で、したがって「無」と「空」は全く概念の違う世界だということらしいのです。「・・・らしい」というのは私には者の本からの受け売りで、本質的なことは何も理解していないからです、また、ある考え方では、「無なる心の状態は自分の存在を解き放ち、自分という存在を自分の心の中から消し去ることによって得られる境地だ」と語る、その道の専門家もいます。自分の心の中から自分を消す、その作業をする古典芸能文化が、日本に存在します「面」を付けて演技する「能」です。優ぐれた「能の役者」によると、面をつける事は、自分はもとより観る人々の視野から、役者ではない個人としての自分自身の姿を消すことで、「面」が表現する登場人物になり切る作業なのだそうです。「無」の境地でおのれの存在を消し去って、「面」で表現している仮の人物になりきる、それは地面に自ら立っている個人の身体はもとより、精神も失った役柄の人物に同化し、観客は表情のない「面」から表情を読み取り、ひとときをその世界役者と共にただようことなのです。また、無はあるがままという心の持ち方にも通じるものがあると、一人の仏教解説者は語っています。「あるがままとはまさに、その言葉通りで」まさに風にそよぐ葦の葉のようにすべてに身を任せ、なるようになる事柄に対して、自分の意思を持たない心の有り方で、この世に身を任せる生き方のなのでしょうか。つまりは自分の存在を自分で認めるのではなく、自分の存在を認めるのは周囲の存在であるという考え方です。哲学者サルトルは「自己の存在は、周囲がその存在を認めたときに成立する」と語っています。
90. 自分を解りたい
「われわれは、すべて弱さからつくりあげられている。われわれの愚行をたがいに宥しあおう。これが自然の第一の掟である」(ヴォルテール「哲学事典」訳:高橋安光)この言葉には、人の感情の動きが「弱さ」という感覚で捕らえられていると私には感じられます。例えば怒りという感情についても、心の中で整理することができずに、精神的な不快感が、怒りの形として表面に出てしまいがちです。これなどが18世紀のフランス哲学者ヴォルテールのの言葉「すべての弱さ」と表現した状態そのものと言えるのではないでしょうか。また「心の弱さ」故に「迷う」これも、「すべての弱さ」から「つくりあげられた」。人間の愚かな精神行動なのかもしれません。
確かに人は「脆弱で無定見であり、不安と誤謬(ごびゅう)に陥りやすい」と上記哲学者が指摘しているように、感情のコントロールは、なかなか難しい事でもあります。冷静さが必要な場面でも私など感情が顔に出てしまい、その場の空気が悪くなてしまうことがあります。「なんで自分の事を解ってくれないのだ・・」と、目くじらをたてたりして・・・、これでは精神衛生上よくないのは解かっているのに。しかし、ひるがえってよく考えると「自分の事が解ってもらえない」と思う自分がはたして「他人の事を解っているのか・・」まず、分かっているとは言えません、それより自分こそ、自分の事が一番解っていない・・と、思う気持ちも心の片隅にあります。そんな私を見てある友人が「迷ってるなんて格好つけるほどでもないよ、ただ単に何かを見失って、それに自分で勝手に腹立ててるだけだよ・・お前は」・・・・つまり、宥し合うという事か・・。
89.深く重い影
「光と影」これは対をなす事柄の表現によく引用されます。「影は光より大きな力を持っている」こう記しているのは芸術家のレオナルド・ダビンチです。その理由は「影は物体から全ての光を奪う存在であり、光は影を追い払うことはできない」。確かに光はどうしても影を作ってしまいます。しかも光の当たる反対側に影はできます。絵画においては、光を上手く描くには影をいかに描くかにかかっています。影の位置によって光の位置も決まるという事も、作画作法でよく耳にする言葉です。人間的に大きな人は影を背負って、それを人生に生かしている人で、重み深みのある人生を歩んできた姿がそこに垣間見られます。また、影があってこそ、光が目立つとも言えます。しかし、人生の影は背中に背負って正面から人に見られない状態であることが大切でしょう。影を感じさせなき影の力・・俗に大きな人物と言われる人は、苦難を乗り越えてきたからこそ、背負う影が、その人物の正面の光を際立たせるのだと私は思っています。ダ・ビンチの絵には描かれた影の深さと重さが私には感じられます。特に代表作の一つと言われる「洗礼者ヨハネ」では、十字架が暗い闇の中に紛れるように描かれているので、ダ・ビンチの描きたかったのはヨハネではなく、闇そのものではなかったのだろうか・・・と、いう評論を目にしたこともあります。影に引き立てられる光・・光は希望もイメージします。影が深く重ければ、深く重いほど、その先の光の輝きは強く確かなものであると言えるのかもしれません。
88. 心の回復
統合失調症という現象があります。「心の病」を広い意味で表現しています。精神状態の不安定が生活の質を悪くし、精神面だけだはなく、肉体的にも様々な病気を引き起こすことにつながります。特に、対人関係が苦手な人は社会生活における自信のなさを感じる様々なストレスがこうじて、自律神経に悪影響をおよぼし、「うつ」の状態になってしまうという結果をもたらしたりします。この統合失調症を防ぎ改善する方法の一つとして、イギリスのスポーツ医学の専門家が、スポーツを通じて、チームメイトや、それにかかわる人たちの交流する効果を示しています。スポーツという場は一つの小社会です。お互いを理解して、ルールの中で役割を果たしながら協力し合うことは、社会生活でも必要なもので、知らず知らずのうちにチームメイトとのプレーやコミュニケーションによって、自信を取り戻すことが出来るとレポートしています。そのうえ、仲間と楽しく接することで、脳が活性化するという研究発表もあります。生きるということは「道」を切り開いていくようなもので、歩いて行く前方に自分の意思に反して「病」「老い」「死」が、否応なく降りかかってくる営みです。「自己に反して生きること、そのものとしての人生が生である」と20世紀におけるフランスの哲学者E・フランクルは語っています。統合失調症から脱出して心の回復を得るには、確かな目的を持って生活することで、スポーツは「勝つ」という目的があるので、治療の手段の一つとして優れていると言えるのでしょう。
87. 悲しみとは
「わずかのことが、我々を悲しませる。また、わずかなことが我々を慰める」この言葉は17世紀にフランスの思想家として知られたパスカルの言葉です。「私という存在ほど不確かなものはなく、それ故にこの不確かで、むなしさから、人は目をそらして生きようとする」しかし、その思い故に一寸したことで悲しさを感じてしまい、また、取るに足らないようなことで心が癒される・・例えば仔犬の幼い仕草にも・・悲しみとはいったい何なのでしょうか、自分の思いから遠く離れた人生の事柄が心を攻めるからでしょうか・・他人の悲しみを感じ取り、慰める心、これは本質的に自分にとって真に悲しいということではないでしょうか。また、自分自身にとっての悲しみは、他の人に、本当のところ自分と同じように感じてもらえるのでしょうか・・・私は両方とも、不可能だと思っています。喜びについても同じように思っています。「釈迦の悟り」は「空なるもの」だと聞いたことがあります。その結果、釈迦は広大無辺の心の世界を持ちえたので、悲しんでいる人と同じ心になって、悲しむことができたというのです。釈迦だからできたことで、私は到底できないどころか、そのような心の在り方を想像することさえ無理です。また、悲しみは忘れるものでも、遠ざけるものでもなく、心の奥深く持ち続けるものだという人もいます。では、慰めとはどんな心の持ち様なのでしょうか。自分で自分の心を明るい方向に解き放つことなのかな・・と私は思ったりしていますが、でも、それはアキラメに通じるようで悲しみに対しての正解とは思えないでいます。
86. ネバー・トゥ・レイト
「人生はのろさにあれ、のろのろと蝸牛(でんでんむし)のやうであれ」山村暮鳥。明治後期の児童文学者は、一度限りの人生を一歩一歩ゆっくりと急がずに歩み続けるのがよいと、このように説いています。また、浮世絵の葛飾北斎は「己六歳より物の形状を写の癖ありて半百(50歳)の比より、屡々画図を顕すといえども七十年前画くところは実に取るに足るものなし」つまり50歳はもとより70歳になる前の作品に大したものはない。と言っています。たしかに北斎の代表作「富嶽三十六景」は70歳を過ぎてからの作品です。常に努力し自分の「その時々の技量」に満足しなかったということです。「努力とは息をするように続けること」という言葉もあります。童話作家の浜田廣介は、自身の作品「ないた赤鬼」の中で「なにか一つ目ぼしいことをやり遂げるには、きっとどこかで、痛い思いか、損をしなくちゃならないさ」と友人の青鬼に言わせています。先の北斎について言えば、いつで自分の技量不足について、焦燥感を持っていてと言われています。死ぬ間際に北斎は「天我をして五年の命を保ちたしめば、真正の画工となるを得るべし」、私はこの言葉から何事も始めることに遅いという場合はないと言っているのではないか、そして、アキラメナイ、と。
85. 運命の言葉
誰にでも前が見えなくなる時があります。それが自ら招いた結果であれば尚更深く落ち込み、嘆き、悩みも深くなります。「われわれは、すべて弱さと過ちからつくりあげられている」これは18世紀にフランスで活躍した思想家のヴォルテールの言葉です。私の友人で事業に失敗して無一文になった男性がいます。その時、38歳だった失意の彼に追い打ちをかけてのが父親を病院に見舞った日、その日はあいにくの雨で、彼が父親に「今日は雨だね」と声をかけた時、「午後にはやむよ」と父親が答え、その一言が父親の最後の言葉となりました。彼はその父親の言葉の意味を、人生の時間軸としてとらえ、立ち直るための努力を必死にして、現在では家族を持ち小さいながらも会社を経営し、一国一城の主として立ち直っています。俗に「神様は乗り越えられない試練は与えない」と言います。私はその友人の生きざまを通じて、将来へ向けて常に希望を持って生きていくことの大切さを教わった気がします。彼が立ち直ったキッカケは必死に努力している彼の姿を見た人が大きな協力をしてくれたからでした。ですから私も苦しみもがいているとき、いつも心の中でつぶやいています。「努力していれば大丈夫だ、きっと自分も良い人と出会える」と・・・。友人の父親の「午後にはやむよ」という、運命の言葉をかけてくれる人に・・・。
84. 虎の威を借りる狐
イソップ物語に「虎の威を借りる狐」という話があります。これは、虎に捕まって食べられそうになった狐が、自分の身を守るために知恵を出して、「私は天の神の遣いなので、私を殺して食べれは、天罰が当たる」と語り「もし、私の言葉を疑うなら、私と一緒に来てください、みんな逃げていきますから」と言って、虎と一緒に狐が歩いて行くと、他の動物たちは皆逃げ出してしまい、虎は狐の言葉を信じたという物語です。動物たちが逃げたのは、狐の存在ではなく、一緒にいた虎を怖れての事です。まさに「虎の威」をかりたわけですが、肝心の虎がそれに気付かなかったという事です。これは虎が愚かだったというのではなく、何事においても、自分自身の本当の姿を自分では正確に知り得ないものだという意味を示しています。虎自身が本当の自分の強さを知らないという事の結果、狐の言葉を信じたというわけです。また、一方の狐は自分の弱さを知っていましたが、頭の良さを過大評価して、自分は虎さえ従えさせられると思いあがった結果、最後には虎に喰い殺されてしまいます。これもおのれの本質を見誤った結果です。自分の本質を正確に知り得ないのは、人間も同じです。早い話、人間は自分以外の第三者が自分の顔を見ているのと同じ顔には、自分では一生見られないのです。鏡で左右反対の自分の顔をみて、「自分の顔はこうなのか」と納得しているだけなのです。顔でさえそうなのです。自分の事が一番わからないのはこの事でも明白です。自分の本質を正確に知る・・。この努力は案外大切で、とても難しい事でもあると考えています。
83. 恋人がほしいですか
恋人がほしいですか・・内閣府が以前20代と30代の男女約2000人にアンケートしたところ、「欲しくない」という回答が4割近くあったそうです。その理由が「恋愛が面倒くさい」というものだったとか、人を愛するという感情より、これは人に恋する場合の心の葛藤が煩わしいと感じるという意味のように私には思われます。この恋愛観の傾向は、時代が令和に変わっても続いているようで、「恋愛など無駄な事だ」と思う人も少数存在するそうで、「恋に身を焦がす」という、かつてあった言葉が死後に近づいているのでしょうか。大正時代「恋愛」は若者にとって青春そのものといえたようです。欧米から伝わったデモクラシーの流れに乗った自由恋愛・・竹久夢二は、はかなく終わったかつての恋人に、「愛は戦いだというもの・・・長い戦いで短い恋だったね」と書き送っています。また、ある女流作家は「私の可愛いクチビルを送ります」とキスマーク付きの手紙を恋人に送っています。これは明治時代における、それまでの結婚は「家と家」を結ぶもの、という考え方が大正時代に崩れて、男女間の自由な感情の交流から生まれた社会的な恋愛観の風潮が広がった結果だと考えられています。この点について専門家は、明治時代の日本には「恋愛」という概念は薄く、一般的には「自由恋愛」そのものになじみがなく、「愛は親が子どおを思う愛が主流で、恋という発想は欧米の文化が日本に入ってきてからの概念だ」と説明しています。異性に恋をしたときめきはホルモンの分泌を盛んにして、若やいだ気持ちが湧いてきます。健康の為にも恋愛を面倒くさいと思わない方が良いように思えるのですが・・これは現代に通じない考え方でしょうか。
82. 生きるとは何ぞや
生きることの意味を考えるには「死」を意識することだと親鸞聖人の言葉を弟子の唯円が記した「歎異抄」にあります。人は常に「死」と「生」の間を浮遊している存在だと言われています。また、歎異抄には、有名な「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」という文言があります。善人でも浄土へ死して生まれ変わることができる、ましてや悪人は当然生まれ変われる」という意味でしょうが、私はこの場合、悪人というのは、善悪の悪人ではなく弱い人間ととらえています。正しいかどうかわかりませんが、つまり善人は強い精神の持ち主、悪人を弱い精神の持ち主と考えた場合、弱い立場の人間への救いととれるからです。
わたしなども弱い人間です。弱い立場の人間はしばしば人生や生命の存在や価値を問われる場面に出くわした場合、追い詰められて、自分が生きている価値が周囲から否定されていると、感じたりした場合、自ら自分を追い詰めて、最悪の場合、自殺をはかったりしてしまう事もあります。しかし、自他ともに価値がないと思われる人生を生きることの尊さを認めているのが、18世紀のドイツ人哲学者のカントです。カントの理論では、価値がないと思われる人生を生きることは生きるという人間に課せられた義務に忠実に従うことであり、このことが生きるという道徳的な意味を持つからだという考え方です。その事が善意であるというのだと語っていると私には思えるのです。つまり、本来、人間は弱い生き物であり、弱い精神の持ち主の方が圧倒的に多いというわけです。パスカルは言っています「人間は生命を持つ者の中で最も弱い存在である」。精神的な弱者「歎異抄」の悪人(=弱者)こそ、人間の本質を行けている存在なのかもしれません。
81. 言葉~言霊(コトダマ)
「生きているというのは、明日があるという事、温もり感じることができる事、そして泣けるという事だと思う」これは15歳でがんで亡くなった少年のノートに書いてあった文章だそうです。この文章をベッドに横たわりながらつづった少年の気持ちを思うとき、胸に迫るものがあります。言葉を古来、日本では言霊と呼び、魂の化身として、人々の心に宿っているものと考えられていました。特に儀式のときは神の言葉とも言われ重く受け止められていました。普段の何気ない会話と違って、改まった精神の世界を表現するときの人の言葉には魂が宿っているという考え方です。私などもそうですが、とかく現代社会では人の言葉が軽々しく、その場に波風を立てない、大人としての対応をすることが良いというような風潮があります。その結果、自分の心がすっきりしなかったりして、まさに反省のきわみとして、自分が情けなくなったりすることが良くあります。私の人間的弱さです。大人としての対応は確かに周囲を丸く修める効果がある反面、言葉の裏に心の有り様の真実を隠してしまい、結局はそれが当人の精神的ストレスになってしまうようなことが起こります。空気を読む、その場を取り繕うという、刹那的な合理性は、自らの精神の弱さをも表現していると思えるのです。結果、自分が苦しむというような・・。言葉には人を動かす力があります。心根を真剣に真実として語る言葉のみにある霊験的なエネルギーがそれです。思い聴力障害があるにもかかわらず、努力をして現在介護の仕事をしている32歳の女性を、今でも支えている言葉があります。それは73歳で天国に旅立った母親の「あなたは耳の障害のことで、親である私を一度も責めた事がなかったね」という最後の言葉です。母親として娘に対する申し訳のなさと、感謝が複雑に入り混じった、これも心の叫びと言える言霊的言葉でしょうか
80. 続・幸福
「道徳とは、いかにして、我々が自分を幸福にすべきかではなく、いかにして、我々が幸福に値するものとなるべきか、という教えである」イマニュエル・カントの言葉です。「幸福」と口で言うのは簡単ですが、幸福とは何ぞやと、まさしく哲学的に考えた場合、私程度の頭では明確な答えなど出てきません。「こういう事柄が真の幸福というものだ」という確かなる何ぞやが考えつかず、思い浮かばず、モヤ~ッとした幸福感を「幸福」と思い違ったり、フラフラと心の中を「幸福」なるものが、さまよっている状態です。また、「幸福」と「しあわせ」をスケールの違いでとらえる考え方もあります。
① 「幸福」とは、社会一般の多くの人が共通して共感できるもので、
② 「しあわせ」感は、個人の心の世界に存在する
という考え方です。「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」これは詩人として有名な宮沢賢治の言葉です。まさに先の①的「幸福」論で、視野の広さを感じさせてくれます。また、他方、パスツールは「幸福は、準備された者の心に降り立つ」とも語っています。この「幸福」を「しあわせ」感と言葉を変えて考えると。②のパーソナルなフィーリングがイメージされます。どちらにしても心の世界。幸福も、しあわせ感も、どう自分の心をコントロールして、広い視野で思いを馳せる部分と、自らの心を個人的にのぞく部分とに分けて、それぞれの心の有り様を見つめる努力が必要なのでしょう。私にはとても難しい事ですが。
79. 別れの言葉
別れには、様々なシチュエーションがあります。学校の卒業での、先生、友人との別れ、長じて恋をして恋人との別れ「出会いは偶然、別れは必然」という言葉があります。確かに、人と人との出逢いは事前に何の前触れも無く突然めぐり逢い、人間関係が、そこから始まったりします。人はその出逢いの積み重ねの中で、人間関係を深め、やがて別れにつながる時を過ごしています。別れは、全てに理由があります。相手との「心のもつれ」が原因で、お互いに背を向け合うとき、それが別れです。そして決定的な別れは、自分がこの世から去る「死」を迎えた時です。ある資料で、別れの言葉を募ったところ、友人や恋人との別れの言葉に比べて、圧倒的に、父母との別れの言葉が多かったそうです。それも何気ない言葉が、最後の言葉になるケースが多かったとか、病床の父を病院で見舞ったとき、娘が「じゃ、また明日来るね」と言ったら、父親が「うん・・でも、明日は雨になりそうだぞ」と、娘を気遣ったそうです。そして、その夜、病状が急変して父親は世を去ったとか。また、認知症で寝たきりの母親を息子が病院に見舞ったとき、去り際に息子へ母が「つらいことがあったいつでも帰っておいで」と、突然声をかけてきて、それが、母の最期の言葉になってしまったとか、その息子の気持ちを考えると・・・こちらまで、つらくなります。そして90歳代の母親が死ぬ前にショートケーキが食べたいというので、食べさせたら、笑顔で、もう思い残すことはないと言って、次の日に旅立ったとか・・
言葉が何気ないからこそ、心に残るのでしょう。
78. 迷う
「迷う事から思考が開ける」こう語る言語学者が居ます。たとえば、迷うという言語の意味とは何かと思いを馳せたとき、様々な迷いの現象が心の中を走り回ります。迷わないという意味の反対語などは、その時には、とても薄っぺらで思いもつかないでしょう。この言語学者は、迷うという心理現象を言葉の上で考えるのではなく、心の動きという方向で考えてみたそうです。そして、たどりついた結論は「心が左右の横に揺れているから先が見えない」その、横に心が揺れている時に、判断力を失うか、低くなるかが原因となって、迷うのだろう。自分は、将にそうだと結論付けたそうです。誰にでも前が見えなくなる時があるでしょう。星のない夜空のもと、一本道を一人で歩いているような、そして道の先に灯火の全く見えない道、その道が三叉路になったとき、はたして自分は左右どっちの道を選んでいくべきか立ちどまって迷ってしまう。不安感を背負っていればなおさらのことです。でも、この時こそ冷静になって、自分の心を見つめるチャンスでもあります。あるジャーナリストは自らを戒める気持ちを込めて、こう記しています。「迷えることに出会っている自分は、迷えることに出逢えていない人より恵まれているのだ」と。ポジティブにとらえているうちに、迷いが吹っ切れて、真に自分の進むべき道が見えてくるのかも知れません。
フランスのある精神科医師は、「迷いを悩みにかえると、道は開ける」と、言っています。「迷い」では、先を見ていないから解決策が見つからないが、「悩み」は先を見なければ解決しないから!だ、そうです。
77. 「生・死」雑考
「死を意識することは、生きる意味を考える事だ」と、仏の教えの中にあります。死はこの世に生を受けた結果によるもので、生は偶然で始まり、死は必然でピリオドを打つと考える哲学者が多く存在します。そこから、人の生き方、死に方に対する様々な考え方が、人々の心の中で多様に語られています。東ヨーロッパのある思想家は「誕生は死以上の禍である」と語っています。それは、自分がこの世に誕生する出来事に、一切かかわっていないからです。それなら自分が直接かかわる、死の方が禍ではないと言いたいのでしょう。更にこうも語っています。「死というものは、生きる理由には何の意味さえない」と、だからといって、自分から生命を絶つという行為に賛成しているわけではないのです。むしろ、生きる理由を自分で見つけ作り出すことをイメージしていて、「生きる理由には何の意味さえない」というのは逆説的論理だと私は感じています。
18世紀のドイツの哲学者カントは、「価値が考えられない人生を生きる、その生きることこそ尊い価値である」と言っています。一見無意味のように思える生き方でも、生きるという行為は社会通念のなかで、この世に生まれたいじょう、人間の義務としての責任があり、その責任こそが生きる価値だと言っているのだと、私には思えます。私は、「いかに生きる」ではなく、「いかに死ぬ」かのために、どう連続性の「生きる」を価値あるものにするか、その生き様が大切なのではないかと、近頃感じたりしています。いかがでしょうか?
76. 神様は乗り越えられない試練は与えない
胸に深く染み込んでくる言葉は、生涯心に残るものです。タイトルの言葉は、全て自分の不徳から私の人生でどうしようもない泥水の中で、もがき苦しんでいた時に、友人が私にかけてくれたものです。でも、その時は苦しさの真っ最中だったので素直に受け取れず、「俺の本当の苦しみもを解りもしないで、したり顔で何を言いやがる」と心の中で反発していました。しかし、時が流れていく中で次第に自分を見つめるゆとりが出てきたとき、自分が泥の中でもがくような始末になったのは、全て自分の生き様からくる「アヤマチ」であって「俺のバカさ」以外何物でもなく、つまりは全て自分の責任だと思えるようになりました。その時あらためて、先の言葉の意味を考えてみました。
「試練」とは何だ、「乗り越える」とはどういうことだ。「試練」とはまさに感情の世界で、どんなに苦しくても試練と思わなければ、それは試練ではなく、通常何でもないと思える事でも、それを試練と思えば、思った人には試練をなってしまうもので、一方「乗り越える」とは、どういうことなのかと考えたとき、何をもって、どう時を過ごしたら乗り越えるという現象になるのか・・、これも心の持ちよう次第なのではないかと私は考えました。試しに「試練」と「乗り越える」という言葉を忘れ、考えることを止めてみました。その時、自分の心が前を向き、その他は何も感じなくなりました。その解放感!言葉の意味・無意味を考えるより、何も意味を考えない事で、先の「神様は乗り越えられない試練は与えない」という言葉を私に語ってくれた友人の気持ちがストンと胸に落ちました。つまりは、神様は乗り越えられない試練を与えない・・・に、自分が何かを感じていたら、それこそが「試練」だと思いにいたったのです。
75. 言葉のアヤ
日本人は「アイマイ」を好むと言われています。一頃「ファジー」と言う言葉がもてはやされたことがありました。まさしく「アイマイ」のきわみを示す言葉です。日本人は自分の立場を「白」が「黒」かはっきりさせないで、なんとなく第三者的ポジションに自分を置いて、安心感、身の保全を守りたいという心理が働くのを好むからだという説もあります。どっちつかずの言葉通り、物事の渦中から一歩はずれて、自分に対する風圧を避ける、そんな心理なのでしょうか。そのような日本の心を示す言葉に「少し」があります。「今の私には、少しそれは無理だな」、この「少し」は文字通りの「少し」ではなく、本意は「全く」と同じで「全く駄目だ」という表現です。「少し」に似た言葉に「ちょっと」があります。「あいつは、ちょっとなア」これの本意は「あいつは、かなりの奴だよ」で、認めているのではなく「否定的」な「ちょっと」「かなり」として使われているわけです。日本語の特徴的な、これ等の「少し」「ちょっと」「かなり」等という言葉は、婉曲的に否定する「アイマイ語」だと、私は考えています。ある言語学者は、日本が島国でしかも村社会という古代からの環境のなせる技だと言っています。四方を海で囲まれ、おいそれとは外に脱出できない自然の在りかたの中で、対人との摩擦をできる限り防ぎたいと思う心理を長い年月かけて、日本人に「マアマア」という感性が育まれたのでしょうか・・・。いかがでしょうか?
74. 幸福とは何ぞや
1980年代の欧米では「幸福とは何ぞや」という哲学的視線のもと、幸福論を展開する風潮が高くなったといわれています。そのキッカケはイギリスの哲学者、デレク・パーフィットが幸福について、多くの学者、有識者の語った様々な論点を整理した事でした。デレク・パーフィットが整理したのは①「幸福とは美味しい料理を食べたりするような心地良い心理状態だ」という「快楽説」、②「本人の欲求が満たされる事こそが幸福だ」という「欲求実利説」、③「幸福を構成する要素は、健康や高い知性、感性、充実した人間関係など、本人の快楽、欲求とは関係なく複数ある」という「客観的リスト説」。の、三つの論理に分けています。私としては③番目の説が一番受け入れやすいのですが、多少自分の本心を殺して、「いい子ちゃんぶっている」ところもあります。幸福とはいかなるものか、幸福と言う現実は本当に存在するのかと、考えたとき、人の数だけあるのではないかと思えるのです。人はだれ一人として同じではないと考えるからです。家族関係、社会との関りはもとより、体重、身長、考え方、性格、全てが十人十色だと思っているからです。現在、地球上には70億人に及ぶ人がひしめき合って生活していると言われています。と言うことは70憶とおりの幸福に対する考え方が存在するわけです。「幸福とは」と言う議論は古代ギリシャ時代からあり、プラトンやアリストテレスも議論に参加していました。しかし、確かな「これが幸福というものだ」と誰もこと答えていません。哲学的なロジックを活用すれば、幸福とは全ての人類にとって永遠の「X」なのかもしれません。
73. 言葉を選ぶ
言葉遣いはその人の心を現すものと言われます。ガサツで、言葉遣いが乱暴だと、その人物そのものが、ガサツで乱暴に思えてしまいます。まさに言葉はその人のイメージを決定づける大きな要素といえます。確かに言葉も荒っぽいと、その人の心も言葉に引きずられて、怒りっぽくなったり、自分の言葉の乱暴さが性格に大きく作用して、対人関係がギクシャクしてしまいます。言葉が丁寧で穏やかだと、自然に心も穏やかになり、そのうえ、立ち居振る舞いもやさしくなります。まさに「言葉は人なり」です。ある会社の重役が部下に対しての言葉使いで、3つの禁句を心がけていると語っていました。①は、「どうしてやらないんだ」、②は、「いつもそうだよな」、そして③は、「今度は絶対やれ!」。特に「絶対」は禁句中の禁句で、その他「必ず」も禁句だとか、確かにどれも内心の怒りを感じさせる文言です。まして「どうして君は私の言ったとおりにやらないのか」と荒らげた物言いは、禁物です。怒ると言うことは、相手に要求することです、怒ったら要求が相手の心に届かないですから、届かなければ怒っただけ無駄で、自分もイやな思いをするばかりか、相手がやってくれなければ損してしまいます。で、その重役は相手を責めずに、怒りたいときにはこう言うそうです。
「やってくれないと私が困ってしまうのだよ」と、笑顔で柔らかく。
72. 有るとも言えないが、無いとも言えない
「有るとも言えないが、無いとも言えない」こういう論理を展開して「根本中頌」を語った、ナーガルジュナという人物がいます。紀元2世紀から3世紀の南インドの人です。この「有ると言えない」は「有る」と言うことは「無い」という存在があって成り立つ思考であり、「無い」と言うことは、「そこに有る」から「有る」ので、「無ければ」、あるといっ様子は存在しないというのです。もっと具体的に言えば、もし私が「ソレなるものは無い」と発言したとします。確かに現実上「ソレは無い」のですが、言葉上の理屈では、場所、時間は問わず「どこか」「いずれか」に「ソレが有ったことを頭において語っている」ことになってしまうと言う論理です。ナーガルジュナは、「無い」と「有る」は直接つながるものではなく、「有るとも言えないが」「無いとも言えない」という「心」を表現する言葉の世界があって、それを根本中頌の論理で説いているのではないかと私には思えるのです。俗な言葉に「心そこにあらざれば見れども見えず。喰えどもその味を知らず」というのがあります。
精神世界において「心の位置」のありようで「実態の存在が有ったり無かったりします」その中間に、もっと漠とした「心の分野」があると言うのでしょうか。ある識者はこのナーガルジュンナの「根本中頌」は、実在を否定した仏教政界の「空」を示す理論だと語っています。この理論が現実社会における人生の苦悩を平らかにして、個人の心の平安のために良いことだと言う考えの様です。私はこれについては、何も言えません。心にまだ空なるものの世界がないので・・・・不勉強のきわみです。
71. 人生の階段
私は常日頃、人生の階段は登るためにだけあると考えており、その考え方は、いつも全く変わっていませんが、しかし、一寸歩みを止めて一呼吸おいて考えたとき、その考え方は正しいとしてもそれは自分にとってのみ正しくて、案外独りよがりの思い込みで、視野も狭くなっているのではないかと、思ったりするようになりました。そういう少しばかり心が変化するキッカケの言葉がありました。「そんなに突っ張らかって生きてて、お前楽しいの?」と、言う先輩の一言です。自分では突っ張らかっているつもりはなく、ただひたすら自分の考え方を正直に実行していたのに・・「そうか、人はそういう風に見る場合もあるのか」と、自分を一度外から見て見ようと思い、人生の階段に踊り場をつくり精神を一休みさせ、あらためて自分の周囲を眺めたとき、自分はただ、同じ水面をみずすましの如く泳ぎまくっていただけで、決して上へは登っていないことに気付きました。ここ数年、新しい結果など何もなく、今まで通りの事を今まで通りガムシャラに右往左往していただけだった。人生の階段を登るには常に自分が新しい未知なるものを身につけなくてはならないと悟り、新しい何かをは一体何か、それを捜さなくてはいけないとも気付いたので、当分、この人生の踊り場でじっくりと考える様にしたいと思っています。
70. 冒険心
失っていたものに気付かせてもらう事が最近ありました。このところ、易きに流れるというか「ま、いいや」の思いが心の大半を占めていました。ただ、生きているだけのような生活を送っていて、言い訳に「目的を見失ってるから」などと口にして、ぬるま湯の心地よさに浸っていたのです。私は、心地よい暖かさを近頃とみに感じる事があります。それは自分の体温のぬくもりの中にいる心地よさです。歳を重ねたせいか、朝、まだ暗い4時頃に目が覚めたりします。起きて動き出すのは朝6時近くなので、2時間ほど布団の中でとりとめもないことを様々に夢想していますが、この時間の床の中の暖かさが、なんとも言えず心地よいので。当然、自分の体温で温まった暖かさです。エアコンのような機械的なものではなくて有機的な暖かさが心のやすらぎを自分に与えてくれるからです。ヌクヌクとした暖かさの中で完全に自分は人生の先を見ない生活の中にいたとき、目を開かせてくれたのが冒険家のスキーヤー三浦雄一郎氏です。70歳、75歳、80歳でエベレスト登頂に成功し、86歳にして南米の最高峰、アコンカグアに挑戦した事です。残念ながら体調不良で中断してしまいさしたが、その冒険心、チャレンジャー心に、ただ驚くばかりです。「目標をもつ人生は楽しい」と語っている三浦氏は更に「寝たきり状態から数分間脱出することも、新たな友人を一人作ることも立派な冒険だ」と言葉を続けています。私も目標をもって出直さなくてはと、思い定めた出来事です。
69. 自分の在り方
つまりはこの世における自分の存在が、価値あるものか、それを考えるところから悩みがスタートしたと言えます。私にとってはとても苦痛な事で、現在でもその悩みが解決してはいません。ゲーテはこんな言葉を残しています。「ベッドの上で泣き明かしたことのないものには人生の本当のやすらぎは解からない」、私の悩みはゲーテ程深くはないのでしょう。ベッドの上で泣き明かすほどではありません。でも、前途に霧が立ち込めていて、視界が良くないためにイライラの多い時間を過ごしています。また、ゲーテはこうも言っています。「心をよみがえらせる泉は自分の胸中から湧いてこなければ、心身をよみがえらせることはできない」と、人生の節目に感じた“自分の在り方”、自分の世の中に対する価値観、今まで、自分は自分自身で納得できる生き方をして来たのか、全ての自問自答では『?』です。人生の三差路である別れ道にさしかかった時、立ちどまって、自分の在り方の決断をしなくてはと思うにつけて、「その在り方を考えるのが難しいのさ」と、耳元でささやく何者かが私に存在しています。ドストエフスキーには「人生には悩み事や苦しいことはたくさんあるが、その割には報われることは、思いのほか少ない」とい文言があります。人生の分岐点では、どこかで決断し、決断のためには、肝を決めなくてはいけない・・と、いう事でしょうか。広い視野で世間を見つめ、自分なりのサム新語を発見し、それを身につける努力の後に得られる個人としての存在感をしめす。パスツールはかたっています。「幸福は準備された心に降り立つ」頑張りたいと決意しました。
68.生きる意味とは何か
死を考える時に、生の意味を問う心が芽生えるのでしょうか。フランスの哲学者は、こんな言葉を残しています。「死は生に意味を与える無意味なのです(ヴラジミール・ジャンケレビッチ)」また、ルーマニア出身の思想家は「生に何の意味も無いという事実は、生きる理由の一つになる(シオラン)」この言葉は、人がこの世に生まれるのは全くの偶然で、生まれた自分の意思は何のかかわりも無いという事をふまえて、意味がないと表現しているのでしょう。確かに父となる人と母となる人が、偶然出会って、自分が生まれ、この世で生きるという、責任を負わされるわけで、自分個人にとっては「生」はまさに、何の意味はないけれども生まれた以上、生きるという事は、自分自身にとって生まれた結果としての理由になるわけなのだと、シオランはとらえているのだと私は思います。生きるという意味は、生まれた事ではなく、生まれた以上自分で意味を作り出すことに意味があると説いているのでしょう。また、ヴラジミール・ジャンケレビッチの言葉には、私は生きたという意味が込められていると、私には思えるのです。死はいつかわからないが必ず訪れる人生のピリオドであり、生は連続する個々の営みであるから、死と生は別物であり、したがって、死は人生全体の意味を示すものではないので、生きた事の証明にはならないと語っているのです。私は、次のように感じます。死によって生の連続性が断ち切られることで、かえって生における連結の意味が明らかになるので、死によって生の意味は消えてしまっても、生きたという事実は残るので、意味のある無意味と言っているのです。生きることの本質的な大切さを示していると、この二人の言葉から私は感じます。
67. 超高齢化社会の中で
人生において何事も無ければ、遺伝子に関わる物質「メロテア」の細胞活性化・・つまり、新陳代謝能力によると、120歳まで人類は生きられると言われています。日本では、今まで経験したことのない超高齢社会に向かって突き進んでいます。曰く「人生100年時代」です。100年生きる、しかも元気で、健康で・・これ、かなり大変な事です。「長生きできるのはケッコウ、けっこう」とノーテンキに喜んでいる場合ではなく、仕事や子育てその他、社会とのかかわりが薄くなるばかりのリタイアシニア世代にとって、何を生きがいとして、この世に存在していけばよいのか・・体力の衰えにも打ち勝って、病気からもできるだけ遠ざかること等を考えながら生活する。毎日が日曜日的人生で、はたして100年生きることが「しあわせ」なのだろうか。考えてしまいます。哲学的に言えば「しあわせとは何ぞや」「100年生きられたとして、それはなんぞや」正解は「・・・」誰にも「・・・」なのです。そんな長寿社会に向けて、こんな提言をしている人がいます。「頑張らない」「老化現象等の体のあら探しをしない」「安らかな死を目指す」「できれば自分の死ぬ日をあらかじめ自分で決めておく」。一見やさしい言葉の提言ですが、本質はかなり難しい事ばかりです。私はともかく「元気に死ぬための努力をする」と、決めました。
66. 追憶より夢を語れ
追憶、過去の思い出を振り返ると、それがたとえ当時、哀しみに満ち溢れ涙を流した出来事でも、なぜか懐かしく、時には美しささえ感じる場合があります。時の流れが様々なその時の嫌な記憶を、忘却の彼方に運び去ってくれるからでしょうか。そして残った美化された部分が思い出となって、心の中に存在し続けるからなのだろうと、私は思います。追憶、この言葉にはロマンさえ感じさせます。過去の嫌な出来事が思い出という形で姿を変えて、現在の自分に対して癒してくれる存在として、心に登場するからです。でも、このような癒し効果のある「追憶」に浸り過ぎるのは、良いことだけではないと私は思っています。つまり過去の、それも必要以上に美化された思い出かもしれない世界に心をあずける時間が長ければ長いほど、前へ進む人生の時間を失うからです。人は前進する動物だと私は考えています。しかも道は自分で切り開く。そして進む。そのためにに夢をもつ・・。「夢は語らないと実現できない」これはフランスのある作家の言葉です。日本流に言えば「有言実行」ともいえる言葉です。言った以上実行しなければ、人々から自分が信頼を失ってしまうからなおさらです。「何としても実現させる」のエネルギーの根源になります。そして未来を見る。私は未来というのは夢ではなく目的だと考えています。では目的とはどういうものか・・「それがやりたくて仕方ないから、どうしてもやり遂げる意志の力」と「実行する力」だと、イタリアの哲学者ベンサリーノが語っています。私はそれを「誰が何と言おうと、没入できる興味ある事柄」だと思っています。その事柄を見つけなくては・・・その思いで毎日を送っています。
65. 人生100歳時代、心のありよう
巷間、人生100歳時代という言葉が日本の日常生活の中で広く話題になる事が多くなりました。そのうえで、100歳を迎えるための心のありよう、つまり「心構え」についても、マスコミを通じて様々な考え方があふれています。では心とは人間にとってどういうものなのでしょうか。考えてみるに「喜怒哀楽」が万華鏡のように「もののあわれ」や「もののけ」「亡者の叫び」「恋の喜び」「死の哀しみ」等、数多く日本古典文学で描かれており、一方、宗教的には「無常」と「非常」という観念が語られています。心とはまさに千変万化の存在を言えるでしょう。しかし人生100歳時代となれば、死のカオスのような性質を持つ心と上手に付き合っていかなければなりません。でも、これはかなり厄介な事です。ある心理学者は人生100歳時代を迎えて、先ず第一に思うべきは「もう・・」より「まだ・・」の気持ちの持ち方だと説いています。「もう70歳」とおもうより「まだ70歳」と思うべきで、心のスイッチをこう切り替えるだけで、未来が明るいものに変化するというのです。確かに、あと何年生きられるかと考えるより、今を若やいだ心で楽しんで生きることの方が、精神的にも楽ですし前向きになれる様に私も思います。更に言えば、可能ならボケからくるのではなく、健康で正常な頭の状態で、意識して実年齢など忘れる事なのだろうとさえ思ったりしています。「加齢」はしても「老化」はしない。そんなことなど私には関係ないという気持ちで、人生を送るべく努力することも大事で、心は常に明るく平静を保って、必要以上に頑張らないで、日々の生活を8分目の感覚で過ごすのが、健康な心を持った100歳を迎えることにつながっていくのでしょう。私が毎日やっていることがあります。別段面白いことが無くても、朝起きると鏡に向って無理やり笑顔を作る事です。不思議とその後、「ワクワクする」気持ちが湧いてきます。
64. 迷う事から思考が開ける
迷うのは未知の領域に挑戦していこうとするとき、心の中で頭を持ち上げる精神的動きだと、私は思っています。「ある人」は迷うという心理現象は「自分で何かを選ぼうと作業している証拠」であり、自分の頭で考えている人だけが得られる特権のようなものだと語っています。ところで皆さんは迷ったとき、どちらを選びますか?例えば自分で出来ない事と出来る事、嫌いな事と好きな事、やりたくない事とやりたい事・・・私はかつて自分で出来る事、好きな事、やりたい事を選んでいました。その結果はあまり芳しいものでは、有りませんでした。どうしてもイザという場面での判断が甘くなってしまうのです。先の「ある人」は私とは全く逆で、自分で出来ない事、嫌いな事、やりたくない事をあえて選んでいるそうです。出来ない事をやったおかげで、その結果自分における仕事の実力が幅広くなったり、嫌な事をやったおかげで、思わない発見があって、その後の自分にとってプラスになったり、やりたくない事は他の人にとってもやりたくない事の場合が多いので、それをやったおかげで、周囲から信頼されたり、評価されたりして、その体験から自分の人生においては迷いが吹っ切れた思いがして、「何事にも前向きになれた」と言っています。つまり「迷う」という「事」は何事かに対して、まじめに考え始めたというわけです。「どうしたら良いのか・・」この思いが思考を開くスタートだと言えるでしょう。迷うとは、「これで良いのだろうか」「それはこうなのか、ああなのか」「もっと何かふさわしい方法があるのではないだろうか」「解らない。何故だ!」この繰り返しが、物事の核心に近づく手段の一つなのだと、その「ある人」は説いています。私は実のところ「迷う」事の多い人間です。救われた思いがします。
63. 愚鈍なることの真実
「ゆっくり歩む人でも、常にまっすぐに道をたどるなら、走りながら道をそれてしまう人よりも、はるかに前進する事が出来る。」17世紀のフランス人哲学者デカルトの言葉です。日本の民話にある「ウサギとカメ」のテーマにも通じる言葉でもあると、私は思います。また、「小才が利く人」「愚直な人」の例えもあります。小才が利く人は、何よりも効率を考え多方面に頭を巡らし、最も効果的な方法を見つけようとしますが、これは得てして自分以外の力を利用しようという面が強くあるので、利用しようとする相手の出方次第で、思わぬ失敗につながり、良い結果が得られることはまずないと言ってよいでしょう。かく言う私もそうで、その上、私には小才すらないので、常に失敗の連続だった過去があります。他方、愚直な人は、周囲にとらわれず、自分の力だけで、どんなに苦しくても、つらくても、前に前に向かって確実に歩いて行く・・、両方を比べれば結果は歴然です。デカルトは、たとえ不器用でも、愚鈍に見えても道ははずさないで、心に思う事を一途に貫くことでしか、人生における道はないと説いているのです。さらに、「まっすぐな道」と「それた道」、言い換えれば「真なるもの」と「偽なるもの」を区別するその能力は、全ての人に備わっているが、それを良く用いることが大切だ。とも言っています。私はその方面でも駄目な存在だと率直に言って思っています。つい楽をしたがるクセがあり、人の力を頼りにする弱さがあります。これをなおして「愚直に生きる」そう思っていますが、つい、なかなかで・・。「愚直な人」は自分に確たる自信があるのだと思います。私にはその確たる自信が欠如しているのだと反省するところです。
62. 幸福度
いかにして、我々が自分を幸福にすべきかではなく、「いかにして、我々が幸福に値するものになるべきか」を求める事が大切だと、イマニュエル・カントが言っています。人間は金銭のみで豊かな満足を得られない、という言葉もありますが「幸福度」というテーマで研究をしておられる、ある大学の白石小百合経済学教授は、「個人の幸福度は所得が増えれば上昇するけれども、所得が一定水準を超えるとあまり上がらない」と語っています。その理由は教授によると「所得が上昇した状態の慣れや周りの人の所得も上がっていると、相対比較では上昇が実感できないから」だそうです。先のカントは「幸福と思えるものが案外自分でも制御できないものに翻弄される不自由な事」と書いています。ある調査では既婚の人の方が、未婚の人より「幸福度」が高く、子供は「幸福度」を高めると・・、このような非金銭的なものの方が「幸福度」を持続させると報告しています。また、別のアンケートで幸福度を調査したところ、「今、現在幸福かどうか」という設問に対し、幸福度の判断の仕方として、一番多かったのが自分の理想との比較で、次に多かったのは過去の自分をの比較、そして他人との比較でした。また、「幸福な人生をおくるために必要なものは」の設問に対しては、ダントツの答えが「健康」でした。次いで「家族」「精神的ゆとり」「経済的ゆとり」の順でした。白石教授も「どんな要因が人の幸福に重要か、幸福度の分析はそれを明らかにすることが大切だ」と話されています。アンケートの調査結果に、庶民の「幸福度」感に対する回答がトータルである様に感じます。
61. ビット・ドリーム・ダイアリーで超長寿時代のライフプラン
「オレ、120歳まで生きるそ!」と言ったら、友人が「お前バカか、そんなに生きられるわけないだろ。」と鼻で笑われました。ヒトの体の細胞の活性化を促進するメロテアというDNAに関わる物質は、人間に何事も無ければ、細胞の新陳代謝は120歳までできるという学説があります。ま、私も本心では到底無理だと思っていますが、しかし挑戦権はあるわけですから、挑戦することは悪い事ではないと、勝手に考えているわけです。ある資料に目を通していたとき「ビット・ドリーム・ダイアリー」という言葉を見つけました。「仮想の夢をえがいて、それを日記に記す」という意味のものです。「こうありたい」「何歳になったころには、こういうことをしている」「何歳になっても介護を受ける様にはならない」という事を具体的に「未来日記」として記していくものです。そこで私もやってみました。今、スクワットして筋肉をつけているので、85歳になったら4月ごろ行われる「ハーフマラソンのシニアの部に出て優勝し、更に87歳の9月ごろ、日頃カラオケハウスでノドを鍛えているので、プロのステージシンガーとしてデビューし、その年の暮れの「紅白」にでて唄う。90歳になったら5月の連休に北アルプスを縦走する。95歳の10月に20代の女性と再婚して子供を二人もうけて、120歳の誕生日に自然死する」こういうビット・ドリーム・ダイアリーをその友人に話したところ、一番バカにされた計画が95歳の時、10月に20代の女性と再婚するというものでした。あくまでもビット・ドリーム・ダイアリーのプランだと言ってるのに・・・もう散々。
60. 独り生れ、独り死し、独り去り、独り来る
これは仏教の言葉だそうです。ヒトは生死のはざまに存在している一つの生命体に過ぎない、この仏の教えは私には無常観に包まれたような妙に救われた心地がします。「そうなんだ、自分は生まれて死ぬだけなんだ・・」と。ある哲学者は「生に何の意味もないという事実は、生きる理由の一つとなっている」・・・と。両親の偶然の出会いから自分の誕生という必然が発生して、今、自分はこの世にある。つまり、人は死んでいくのも、生きていくのも「この世に存在するからに他ならない、そこに理由は何もない」と語っていると、私には思えるのです。禅の「曹洞宗」の名僧、良寛は「散る桜、残る桜も、散る桜」という句を残しています。枝に残っている桜もやがて散って行く桜であって、特別な桜ではなく、たまたま今、枝に残っているだけだ・・。この句にこめられている意味は、平等に誰にでも訪れる、やがて来る「死」という現実を、特別なものではなく当然の事柄だと、人々に諭していると私には思えるのです。死に対して人間は憂えたり、悲しんだりするけれど、死という終わりの時がハッキリしていないのに、死ぬまでの人間の生き方が決まるわけはない。と言っているのだと思っています。つまり、生も死も対となった表裏一体のものだと、良寛は説いているのです。その良寛の思いが明確に表現されていると考えられる一句があります。
「うらを見せおもてを見せてちるもみじ」先の句の「桜」と違って「もみじ」であることが人の死に際を具象していると思えるのです。私はこの句に「空(クウ)」を感じます。あなたはいかがですか・・。
59 人生を深くするのは心の中で肚を決める事だと思う
「迷う」「悩む」その精神の迷路から脱出するために必要なことは根本的な部分に立ち、心の底から「肚(ハラ)を決める」事だです。しかし、これが言うほど生易しいものではなく。「肚」が心の中のどの位置にあるのか、そのポジションによって「肚」の決め方に軽い・重いがあり、その結果も違ってくるからです。文豪ゲーテは「心をよみがえらせる(肚を決める)泉は、自分の胸の中から湧いてこなければ、心身をよみがえらせることはできない」と書いています。「肚」を決めるには自身、長い時間、孤独の世界に身を置くことが必須条件なのかもしれません。更に「ベットの上で泣き明かしたことのない者には、人生の本当のやすらぎはない」との文言も残しています。まさにゲーテにおいては、ベッドの上で泣き明かした孤独の時間があって得た、自身の心のよみがえらせる事が出来たのでしょう。心を深く重心を下げた状態で孤独の時間を持つ、その結果、物事の本質がつかめるのだろうと私は考えます。ひるがえって、私自身には孤独を恐れる心がまだまだあり、なかなか本質的な「肚」を決めるに至っていません。したがって「迷う」「悩む」のスパイラルの中で、もがいている常です。もしこのような状態から脱出することが人間的成長とするならば、私はまだまだの段階です。あるその道の先達は人間的成長を自身に呼び込むのに必要なのは「行動を拡げ」「行動を高め」「行動を深める」ことだと説いています。どのように世の中が変化しても「しあわせ感」の本質は「不変」だと思っています。人間的成長のさきにある「しあわせ感」を得るには、孤独体験の末の「肚」を決められる自分自身になる事なのでしょう。
58. 続・孤独
「ひとりぼっちの自分」は周囲の人たちによって決められる。「孤独の自分」は自分自身によって決められる。つまり「ひとりぼっち」は自分によるなにかの理由から周囲の人々に見放されることで、「孤独」は自分から望んで周囲から遠ざかる事です。集団の中で自分らしくしていられることが難しいという現実を感じたとき、自分らしく生きるために「孤独」の道を選ぶというわけです。哲学者の三木清は、こうも言ってます。「人は孤独を逃れるために、独居さえする」。自分から望んだことだといえ、ふと心が空になる時があります。そのような場合、更に周囲から遠ざかって、一人でいる場所を作るというわけです。確かに人は大勢の人に囲まれる中に居ても孤独な場合があり、だからこそ「独居」ひとりでいる場所を望み、自分だけの世界に浸る事で、心の中の孤独感に打ち勝糖とするのかもしれません。文化人の下重暁子は、その著書「極上の孤独の中」で、孤独を一人の時間と言い換えて、孤独を味わえる人は選ばれた人だと記しています。人々の群れる雑踏の中に身を置いても、孤独は孤独、案外そのような状態の時にこそ、自分らしい本当の自分が存在するのかも知れません。
57. 何の意味もない
「誕生は死以上の禍である」という言葉を残した思想家がいます。つまり自分がこの世に誕生したのは、自らが望んだものではなく、親となった男女の偶然の出会いの結果で、その先に待っているのは確実な死、という望んでもいない不幸があるので、これほどの禍はないという意味です。ルーマニアの思想家シオランの発言です。また「生には何の意味もない事実は、生きる理由の一つになる」とも語っています。つまり、生きることは、自分がこの世に生存していると考えないで、単なる現実としてとらえる、さめた感覚で、自分が生きていることを認識しようと考えた結果ともいえます。また、フランスのヴィラジミール・ジャンケレヴィッチは「死は生に意味を与える無意味なのです」と語っています。人に突然必ずやって来る死、それは生きてきた時間が消滅して、生きてきた事実そのものが死によって無意味になってしまうと説いているわけです。「私は生きた」という意味を死は確かにするものとして考えられると暗示しているわけです。人生の完結は死によってのみ、みなされるものかもしれません。「何の意味もない」生だからこそ、生きている間は、自分にとって意味のあるものでありたいと、努力して生きるべきなのでしょう。
56. 幸福・不幸
イマニュエル・カントは「いかにして、我々が自分を幸福にすべきかではなく、いかにして我々が幸福に値するものになるべきか」と教えています。私が思うに幸福は待っていれば向こうからくるのではなく、日頃の努力の積み重ねのうえに、はじめて幸福が訪れるものだと言っているのではないか。また、パスツールは「幸福は準備された心に降り立つ」と語っています。つまり幸福とは人の心が幸福を得るのにふさわしい心のあり方として、準備されていることが必須条件だと言っていると思うのです。同じ事柄でも心のあり方一つで、幸福感を感じるし、また、感じない事もあるというわけだと思っています。他方、シェークスピアは「幸福・不幸」について、「不幸は一人ではやって来ない、群れをなしてやって来る」と言っています。確かに、幸福は突然一人でやって来る場合がありますが、不幸は湖のさざ波のように、次から次とひっきりなしにやって来ると表現しているのでしょう。シェークスピアの言葉は現実に起きている不幸な事象の連続性を語っており、人生にとって幸福な事より不幸な事の方が、圧倒的に多いと説明している言葉でしょう。例えば、しあわせ感の絶頂の時、30代で事故死した女性と、平凡でさしたる幸せ感も感じなかった80歳の男性が穏やかな人生で終わった場合と、どちらが本当の意味で幸福だったのか・・・、私は今考えているところです。「幸福・不幸」は心の中で紙一重のように思えるのですが・・。
55. 歳をとるってことは
「歳をとるって事は・・」「もう少し歳をとりたかった」、前の言葉はある80代の高齢者の女性の言葉です。後の言葉は30代半ばの女性の言葉です。共に悲痛な思いがはじけて発した言葉なのです。「歳をとるってことは・・」の言葉の先に「あなた、どういうことか解ってるの・・」と、続きます。その老婦人を訪ねた人が「お元気ですね、お歳を感じさせないくらい」・・訪ねて来た人は善意で言っているのですが、老婦人にとっては心に突き刺さるキリの先のようにチクリときたのです。彼女は確かに高齢にしてはかくしゃくとして元気です。現在は広い自宅に一人住まいをして、経済的にも困ってません。でも老婦人は孤独で、心は空洞でした。どこか年老いた自分を悲しんでいる部分があったのです。長生きなんてするものではない・・と。
で、先の言葉につすくのが「もう人から年齢しか聞かれなくなるって事・・私の気持ち解かる?」
つまり周囲の人は老婦人の、それまでの人生や今の生活全体に何の興味を示してくれない事への怒りと絶望なのです。会う人ごとに「おげんきですね。おいくつですか?」生きている自分の本質を誰も知ろうとしてくれない、老いの哀しさを感じていたのです。
ところが、後の言葉の30代半ばの女性ですが、この時、末期がんを患っていました。あと半年の生命といわれるステージ4でした。その年のクリスマス・イブに、日頃親しくしていた70代の婦人が訪れ、クリスマスケーキを手渡しした後、しみじみとクリスマスキャロルの唄を歌いました。彼女は目じりに涙をためて歌を聞き終わると「死ぬことは少しも怖くないけど、もう少し歳をとって・・、私もお婆ちゃんになりたかった・・」。そう呟いて、3日後に静かに息を引き取りました。
年齢と言いうものは、人の立場の違いにかかわらず、誰に対しても厳しい対応をするものだと、私はこのエピソードを知って、つくづくと感じたものです。
54. 「なまける」の効用
「怠ける」この言葉には生産性が無く、否定的な悪いイメージが感じられます。が、フランスの社会主義者のポール・ラファルグは一日三時間ほど働けば生きていくのに十分で、後の時間は、食べたり遊んだり寝たりする「怠ける」権利を行使すべきだと言っています。また「ゲゲゲの鬼太郎」の作者、水木しげるは、その著書「幸福になるための七箇条」で、「しないではいられない事をし続けなさい」そのうえで「怠けものになりなさい」と言っています。つまり「怠ける」という事は、何もしないのではなくて、何かをする事のためには怠けて、事故の好奇心を満たすための何かを追い求める時間のために、怠ける時間を持つと良い。と言っているのだと私は解釈しています。余力を残す、その余力を活用するときのために・・と、言い換えることもできるかと思います。自然界の植物では花を同時に咲かせるのを避けて少しずつ、咲く時間をずらしたり、背丈も高かったり低かったり、同じ種類でもまちまちです。これはどんな環境の変化にも対応できるように、サボるところはサボって、多様性を保っているのだとか・・働き者の代名詞であるアリは、全働きアリのうち、集団の中の二割程は全然働かないそうです。で、その働いているアリを取り除くと、今まで働かなかったアリが働き始めるとか・・つまり、その集団の全ての働きアリが働いていたら、万一の事が起きたとき、全滅してしまうので、それを防ぐ為だろうと考えられています。人間も同じで、常に気を張って全力で生きていたら、何かあったとき、立ち直れないかもしれません。「怠ける」ところは「怠けて」余力ある生活が必要なのかも知れません。
53. 有難うは人生の妙薬
中国の「建州」というところに「馬子(バシ)」という男が居ました。馬子は大変思い上がった男で、絶えず自分ほど恵まれない者は無いと、不平を漏らし、感謝の心はかけらもない人物でした。ある夜、夢の中で牛や豚などが次々に現れては哀しい目で馬子を眺めて消えていきました。また、米や野菜や果物たちも、牛や豚と同じようにして、現れては哀しい目をして馬子を見つめて消えていきました。それらは日頃、馬子が食べているものたちだったのです。最後に神仙が現れ「あのもの達の命をもらって、お前は生きているのだ。お前に食べられるために命を落とした、あのもの達に比べて、どれほどお前が恵まれているか考えてみるがよい」と言うと、神仙は姿を消しました。夢から覚めた後の馬子は生まれ変わって、全ての物事に感謝の心を持って生きた・・。と、中国の古い文書に書かれているそうです。仏教の教えにも「多くの命をいただいて、あなたは今日の日を生きている」というのがあります。「有難う」という言葉は、そもそも「有り難き」有る事は大変難しい。という意味で、そこから転じ感謝の言葉「有難う」が生まれたと言われています。
感謝の心で前向きに生きる、その「合言葉」が「有難う」。先ず始めに有難うの「心」ありきだと自分にも言い聞かせなくては・・と思っています。2011年の東日本大震災が起きたとき、津波で犠牲になったのは人間だけではないと、動物や昆虫、植物など多くの生き物に、日頃人間の命に役立っていることの感謝を込めて、全てのために祈り、命を拝んだ若き僧侶がいます。盛岡市石雲禅寺の小原宗鑑師がそのひとです。
52. 考える
「考える事は雨乞いの様なものである」と、哲学研究家の野矢茂樹氏は、その著書「哲学な日々」で記しています。考える事は「考えるための下ごしらえ」に役立つだけで、「考える」とは、今の考え方ではうまく考えが解けないから「考える」のであって、これまでにない思考がふと浮かぶまで待つしかない・・・と、言う意味かと私は著者の言葉の意味をとらえています。正しいかどうか?どうでしょう。
ことほど左様に「考える」ということは、考えれば、考えるほど、奥が深くなっていってしまうので、私はいつも困惑してしまいます。「考える」というのは私にとって「心の格闘技」ともいえます。「考える」の次に来るのが「何をどう考えるのか」それを「考える」ところから、全ての「考え」が始まる。
もうキリがありません。先の哲学研究家は考えても、今の考え方では解けないカオス的なものを晴らすことだから、あらかじめそれに従うべきどんな方程式も無い、という意味のことを説いています。おそらく誰でもそうなのでしょうが、私も考えだすと、どんどん深い谷底へ降りていくように、固定した思いを掘り下げてしまい、時として視野の狭い一つ間違うと独りよがりの考えにはまったりしてしまします。煮詰まってきららフト他の事に気持ちを向けて、広い視野の回復を促し、それこそ待って「良い思考」が湧いてくる迄、頭を休める様に心がけています。凡人の私にはこれくらいの事しかできません。私の場合「考える」ためのエネルギーの基は、疑問をもつ事です。これで良いのか?良くないと思ったらどうすれば良いのか?
「考える」という感情は「疑問」から生まれてきます。私の場合は・・
51. 向かい風を味方として
「苦悩を突き抜けて、歓喜を勝ち得るのだ」と有名な交響曲「第九」を作曲したベートーベンはこう語ったと言われています。人はともすれば易きに流され、苦労を避けようとします。かく言う私もその心があります。でも、それに負けるか、負けないかで人の値打ちが決まると言えるでしょう。ことにあてって「なんとかしたい」と思う心が、苦悩を呼び、また、それが苦悩に打ち勝つエネルギーになると考えています。ある人は「ことをなし悦には熱い心の持ち主であることが求められる」と言います。では「熱い心」とはどういう「心」なのでしょうか。炎の如くカッカと燃え盛り、ひたすら情熱を傾ける「心」のことでしょうか。
考えるに「熱い心」とは表面に出る想いの裏に、内なる秘めた冷静な想いも併せ持つもので、それが初めに記した「何が何でもやりぬく心」に通じるベートーベンの言葉ではないかと解釈しています。人は向かい風よりも追い風を求めがちです。確かに追い風の時は楽です。風に押されて思わぬ力を発揮することもあります。でも、追い風では空に舞い上がる事は出来ても、風の思いのままで、風に吹かれて舞い上げる枯れ葉を見てもわかる通りです。楽の先に本当の歓喜は無く、向かい風で苦の時こそ本当の歓喜はその先に待っていると考えています。向かい風に向かって突き進むことは勇気もいるし、とてもエネルギーを必要としています。でも、向かい風に打ち勝った時、そこで得る喜びは大きなものでしょう。まさに「苦悩を突き抜けて、歓喜を得た」のです。本当の喜びとは多くの苦しみ、哀しみの涙のはてに得るものなのだと、私は今、思っています。
50. 自然体で生きる
「自然体で生きる。今の私はこれを実行しているんですよ」と、50代半ばのその女性は穏やかな笑顔で語ってくれました。私はその女性を30代のころから知っていました。当時はキャリアウーマンとして、てきぱきと仕事をこなし、抜群の実績を上げて注目され、自他共にそれを認めて、西に東にと活躍されていました。順風満帆の人生とみられた彼女ですが、40代で逆境になります。会社の中で活躍しているだけでは事足りず、更なる発展を求めて、友人とともに会社を興したのが裏目に出て、あげくの果てにその友人に使い込まれ、たった1年半で会社は倒産、彼女は大きな借金を背負ってしまったのです。そこから苦節10年、仕事の場をアメリカに移して、やっと身軽になり今はコンサルタントとして、日米の経済界で活躍しています。およそ10年ぶりに逢った彼女の変わりように驚きました。髪は白髪交じりで、化粧も控えめで、着ている者もブランドものではなく、どこにでもいる上品なおばさんになっていました。30代の頃は最先端のデザインのスーツを着て、シャネルの香水をつけていた人が・・・、彼女の言うところによると「以前の私は全て無理をしていたと思うの、肩ひじ張って、誰にも負けたくないと心に鞭打って、それが私らしく生きる正しい方法だと思って・・でも無理はいつかほころびる、それが過去の私だったの。決して自分らしく生きてなかったのよネ。今はありのまま全てを受け入れて生活しているので、すごく楽になったし、充実している」というと、彼女は私に柔らかく微笑んでくれました。
49. 考える葦
「人間は自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない、しかし、それは考える葦である」17世紀のフランスの思想家のパスカルが語った有名な言葉です。確かに人間は弱い存在です、動物学的に言えばなおのこと、弱い動物と言えます。野生動物の方が人間という動物より、運動能力や本能を基にした体の機能は、はるか優れていると動物学者が語っていたことがあります。「そうだよ」とシタリ顔した友人がその話を聞いて「犬や猫だって、自分の足で自分の腹をかけるけど、人間は自分の足で腹はかけないもの、人間は犬や猫以下だよ」といってましたが、この友人の発言はともかくとして、人間が人間としての存在を示せるのは、パスカルではないけれど「考える」という能力が頭抜けているからです。人は立って歩く能力を身につけたことで、大きな頭脳を得るきっかけをつかんだと言われています。人類の発展と共に脳の量も増えて現在に至ったとか・・、また、人類のこの「考える」という能力はもう一つの人類の能力の「心」と交差して、様々な感情をも発達させました。その結果「心」のあり方、持ち方しだいで、脳の働きも良い方向にも悪い方向にも、思考は左右するという事です。「心」のコントロールを上手にできるか、どうかによって人生が大きく変わる事にもつながります。「心」をコントロールしたうえで「考える」このことがたいせつなのでしょう。パスカルは語っています「わずかの事が我々を悲しませ、わずかの事が、我々をなぐさめる」
コントロールした心で考える、その先に結果があるということでしょうか。
48. 今、あなたは幸せですか
「今、あなたは幸せですか」このようなアンケートをかつて、あるマスコミがしたことがあります。全回答の85%が「幸せ」と答え、「幸せではない」が15%でした。この結果より、私はこのアンケートの設問に少し引っ掛かるところがあります。先ず、この設問に対して「私は不幸だ」と答えたくない人も居たでしょうし、本心では不幸だと思っていても、更に人によっては幸福感のあり方も違い、何をもって不幸とするかも価値観によっては差があるでしょう。アンケートの答えの中に「20代で生命にかかわる大病をしたから、今、生きていられるだけで幸せ」だとか「家族が元気で、平凡に暮らしているけど幸せ」だという50代の男性とか、逆に「人間関係に疲れる仕事場で働いているから不幸です」という40代の女性や「長時間の労働が普通で疲れが抜けなくて、パーフェクトに幸せかというと、それは違う」と持って回った回答の50代男性も見られます。もう一つ考えなくてはならないのは、回答した人たちの教養、生活、環境、性別、年齢が特定できないうえに、人物像が全く分からない事です。本来アンケートはアバウトな平均値が得られれば良いので、そこから確実な情報を求めるべきものではなく、どこまでアンケートの結果を信じるかジャッジが必要なところです。ですからこのアンケートが「どうだ、こうだ」ではなく、こういう設問が、アンケートをするにあたって適当なものかについて感じたので、記したわけです。「今が不幸かは言えないから、まぁ良いか」54歳の男性と59歳の女性が答えています。
この回答には、心の巾が感じられます。幸か不幸かは心の持ちようですから。
47. 「死」
「死は生に意味を与える無意味なのです」と、フランスの哲学者ヴィラジミール・ジャンケレビッチは語っています。私はつい最近、ごく親しかった仕事仲間をガンで失いました。彼とはかつて様々な交流がありました。良い時ばかりではなく、時にはいさかいもあったり、彼に子供が生まれた時はともに喜んだり・・イロイロあったので彼の死はこたえました。しかも私より若いのです。「死っていったいなんだ」と考えていた時に、先のジャンケレヴィッチの言葉に出会ったのです。「『生に意味を与える無意味』っていったい何だ」・・・考えました「誰にも死は全く学習できない」・・確かにそうです、しかも一回学習したら二度と学習できないし、その一回の学習を自分自身で活用できない事柄、そして、誰の人生においても必ず訪れる。それが「死」です。生命にとっての確かな約束事・・それが「死」です。ひるがえって我が身の「死」について考えてみた結果「死別するときまで心の準備はできないだろう・・で、そのときにふさわしい言葉は何だろう・・言葉はないのかもしれない」
私にとっての「生」を突然打ち切る「死」は確かに死に際に振り替える時間があれば『あぁ、自分はこんな生き方をして来たのか』と、生きた意味を与えてくれるかもしれません、
つまり私個人の生きていた時の営みに意味があり、それを打ち切る「死」は、私にとって無意味な存在だ・・・、とフランスの哲学者は言っているのでしょう。
してみると、その「生きる」をどれだけ大切にするか、その心の持ち方を生きることの大切さをジャンケレヴィッチが私に教えてくれた文言として、今、感じ取っています。
46. 仏像の眼
近頃、若い女性が各地の有名な寺院を巡り歩いて、仏像を見て歩く「仏女」という存在があるそうですが、仏像を見て我が身を振り返る時の一助するという目的があるのなら大変良いことだと思います。
ところで、日本の仏像の眼の形には三通りあります。両方の眼を閉じているお釈迦様の涅槃像にみられる閉眼仏、両方の眼をハッキリと見開いている開眼仏、そして半分目を開いている半眼仏です。一説によると仏の教えに仏像が登場するのは、仏教を広めるにあたって、一般の多くの人々にイメージを持ちやすくするために、以前からインドで広まっていた他の宗教のキャラクターとしての様々な神々の姿を手本にして作り出されたものだとか。
確かに仏像写真集などを見ると、インドのガンダーラ仏など両方の眼がしっかり見開いていて、人々、世の中をその眼でじっと見つめている感じがします。ある美術家は「古代ギリシャのアポロンの彫刻と同じ眼をしている」と言っています。調べてみるとタイや他の東南アジアの仏像も、眼を見開いた仏像ばかりで、私見ですが眼を閉じている仏像と、半眼になっている仏像は日本だけのように思います。半眼の仏像は平安時代や鎌倉時代に多く造られ、しかもこの半眼の仏像が圧倒的多いのも事実です。思うに、半眼の仏像は見るものに様々な想像をさせてくれます。ある人は「半眼なのは、これから眼を閉じる前の姿だ」と感じ、また、ある人は「半眼なのは、これから眼を見開く前の様子だ」と。
『見る人の心のまま、どう感じてもらっても良い』と仏像は眼で教えてくれているのかもしれません。人にとって一番大切な名は、心の持ちようだと。
45. 三つの性格人にあり
あるアンケートで性格について調査したところ圧倒的に多かったのが「私の性格は変わらない」とうものでした。性格とはどんなものなのでしょうか、性格という実体のないものを形あるものと同じ感覚で「ある」と考えるところから間違っていると精神科学の教授は語っています。教授によると性格は三つの方角から区分して考えると良いそうで、先ず「心の場所における性格」次に「関係性における性格」三つめは「他人との比較における性格」で、性格が変化するのは、二つ目の「関係性における性格」の場合だそうです。最初の「心の場所における性格」とは、自分の心の場所で「自分が考える自分の性格」なので、自分のアイデンティティに関するものなので変わる部分が少ないとか・・、三番目の「他人との比較における性格」は、多くの人の中にいる時の自分の性格で、自分より多くの他人の目で他と比較され決められるので変わりにくいのだそうです。二つ目の「関係性における性格」は誰かと一対一で一緒にいる時の自分の性格で、相手次第で、その場その場で相手の誰かに対して、性格を使い分けているというわけです。性格的キャラクターの使い分けとして、例えば恋人には恋人対応、友人、兄弟等相手に合わせた性格表現をすることは当然です。両親に対しても父親と母親とは当然接し方は大きく変わります。つまり、二人でいる徳は対応的性格はその都度変っている、という学説です。人は二人でいる時、相手によって無意識、または意識的にしても自分の性格を使い分けているという事でしょうか。
44. いまを生きる
「過去も未来も無い」、ある有識者の発言です。でも、これは昆虫の世界について語った言葉で、虫は「その時」「その時」を一瞬のつながりとして生きているわけでしょう。人間はどうしても未来をあれこれ考えて喜んでみたり、悩んでみたり、過去を振り返って悔やんでみたり、懐かしがってみたりして、自分で自分の心に波立たせてしまいがちです。それは人間が過去に対しての記を持ち、未来を予測しようとする動物だからだと私は思います。過去のことは案外美化して、失敗もなつかしく、時には「笑いの種」にすらなりますが、未来は未知なだけに希望はもつものの、その反面不安感つのる場合が多々あります。この不安感は歳を重ねると孤独感に変化し、年齢を重ねれば、重ねるほどその思いは強くなるのかもしれません。未来や過去にこだわらず、昆虫のように今の一瞬に思いを馳せる事も必要なのかもしれません。「きのふのための悲しみか、あすの日ゆえの侘しさか、きのふもあすもおもはぬに、この寂しさはなにならむ」これは竹久夢二の詩です。今の時間の自分の心を詩っています。孤独な人生の今というと時間を表現しているともいえます。では「いま」に対してどうしたら良いでしょうか・・・「いま」という時間に対して、恋心を持つ事だとある作家は言っています。過去と未来の接点が「いま」だからです。「いま」恋の心をもって大切に、という意味でしょう。そして、その作家は続けて「いま」と「この場」を精一杯生きることだと語っています。なるほど・・・・
43. 満足捜し
私の近くにいる女性で、絶えず「満足を捜し」ている人が居ます。その人は常々「私は幸せな人生を送っているのは解かっているのに、でもなぜかとてもむなしい」と語るのです。彼女は一流企業の正社員でしかも部長職です。家庭は夫婦二人暮らしで子供はいなく、連休の時など夫婦共通の趣味である登山に出かけたりして、円満生活を満喫しています。「むなしさ」これはある程度豊かで心にゆとりがある時に芽生える感情でしょうか、食うや食わずの赤貧生活では「むなしい」などといっていられないでしょう。私には彼女が「満足捜し」というゲームをしているように思えます。何不自由のない状態は心に「ないものねだり」の種を植え付けるのかも知れません。「満足」とは満たすに足ると書きます。「満たす」という考え方の中に、己を知るという意味もあると思うのです。先ず、この女性は「自分にしかできない何か」があると信じて、「満足捜し」の前に「自分捜し」をすると、「むなしさ」から解放されるのではないかと思います。私にも思い当たる事があります。つまり「満足捜し」のゲームをしていた頃があるのです。私の場合の満足捜しのゲームは、「自分はこんなもんじゃない」「自分はもっとできるはず
等と、自分を自分で追い込んで、それが向上心だと思っていたことがありました。私がこのゲームから解放されたのは、ある事柄で大失敗して「自分はこんな程度の者」と悟ったときでした。いま、私は「満足捜し」のゲームから完全に開放されています。私は「こんな程度の者」ですから。
42. いかに生きるか・・・
「いかに生きるか」ある面では、人生の最大のテーマのように思えるこの事証は、考えれば考えるほど厄介な問題を次々と私に提供してきます。論理的にまた体験的にどちらから考えても結論が出ないので、何かいつも脳裏に引っ掛かった状態で時だけが流れて行ってしまいます。時が流れ去った先には死が待っているだけです。こう考えると「いかに生きるか」ではなくて、わたしは「生きるとは何か」と考えなくてはならなくなってしまいました。ニーチェは「生きるとは、死のうとする何ものかを絶えず自分から突き放すことだ」と解いています。つまり生きる意志を、どの様な時も強く持つという事でしょうか・・。対してフランスの哲学者ジャンケレヴッチは「死は生に意味を与える無意味なのです」と語っています。私が思うに、死は必ず訪れるけれども、いつ訪れるかわからないのも死であるから、死によって人生を生きた意味は全て無くなると言っているのでしょう。つまり、人生全体の意味はなくなっても個々の体験には意味があるから人生を「私は生きた」と言えると、ジャンケレヴィッチは一方で語っています。また、ある人は「死は祈りだ」とも言っています。生きている人の祈りなのでしょうか・・・祈る時、言葉不要です。考えれば考えるほど、「生きる」意味が解らなくなって・・・私の気持ちを楽にしてくれたのは友人の「生きていく意味はきっと誰にも解らないよ、それを発見するのが人生だと思うよ」の、言葉でした。この有事は世にいう平凡なひとです。
41. 怒りと付き合う
「怒り」には二つの方向があると私は思っています。一つは、当然、相手に向かって行くもの、もう一つは自分にむかって来るもの。前者、これはトラブルを生む以外の何物でもなく、自分も相手も心になにがしかの傷を負って決していい結果になりません。まして言葉にして「何回俺に同じことを言わせるんだよ、だから駄目なんだよ」等、言ったらアウトです。自分自身に対する怒りは結果がわかれます。最悪の自分を思い描いて、自信を失った人生を歩く・・、もう一方は自分自身の欠点に対し怒り、その欠点を治すために怒り、闘う・・、これは自身の人間的成長につながります。自分自身に対する怒りは、どっちにしても結果の全ては自分に来るので、仕方ないとして、問題は他人に対する怒りとどう付き合うかです。
まず、自分の直情的感情を捨てるか、表面に出さないという条件を自分の心につけた上で、仕事上や仲間的な付き合いの人には「完璧主義」を求めなく「理想像」を高くしてみない、「必要以上」の高い評価をしない、「期待度」を低くする事・・・、で、かなりの怒りからくるイライラや、怒りの感情が抑えられます。そして最も大事な点は自分の心をコントロールするうえで、「大きな心を自分が持つ事」「どうでも良いことはすぐに忘れる事」「つまらない事柄は見て見ない事」。
例えば、「電車の中で化粧したりしている女性や、あたりかまわず大声で会話している人たち」を見かけたとき等、良い意味で「無視する」、「不快だと思う事には目をそらして」「怒りの感情を捨てる」テクニックを身につける必要があると言えます。「怒り」の原因には自分がどう頑張っても「考えられない」ものがあると思うからです。
40. 考えるとは
自分の人生は先ず仮説を立てて、その実現のために自分なりの人生のストーリーを組み立て、そのストーリーにそって生きていく。こんな生き方が出来ればその人生は素晴らしいのかもしれません。私はその一番初めの仮説を立てる段階で失敗して以降、四苦八苦の曲がりくねった道のジグザクしたコースを歩いてきて、今日に至っています。全くダメな話です。確かに我が人生は「こうあるべきだ」という仮説を立てるには、人生の目的となる終着駅が明確に自分の心や脳の内部にイメージされていなければ不可能でしょう。それには、先ず自分の進むべき人生をどう考えるか・・を、考えるところから出発しなければだめでしょう。ある哲学者は「論理的な営みが考える事だと思われがちだが、そうではなく考える事のための前段の作業に必要なのが論理で、したがって論理の役割はそれだけである」と説明しています。ともかく考えるという事は、先ずどのように考えたらよいのかを予備的意識で考え、その考えに則って、四方八方に考えるためのアンテナを伸ばして、考え方の「情報受診」をして、何をどう考えるかを問う問題を的確に育み、それを続けていると、ある時突然とてつもない素晴らしい、考えが頭に浮かんでくるという事のようです。ここまでくると、単なる思い付きやアイデアはいったい私の頭の中での存在としてどの程度のものかと、思ってしまいます。お粗末さという点で、結局考えるという事は内なる問題意識をもって、何がその問題の正解なのかを負い続くける事で、そこに新しい発見がみつかり、その新しい発見を手にするには既存の正解を知らない方が良いというわけです。フロンティアに彩られた人生とは、そういう考えのもとに生まれるのでしょうか・・・
39. さぼる
政府は「働き方改革」の名のもとに効率の良い仕事ぶりを企業及び働く人に対して期待していますが、効率の良い仕事ぶりとは一体どういう仕事ぶりなのでしょうか。明確なイメージがもう一つ私には、ハッキリと浮かびあがってきません。仕事の事はさておき、効率の良い生き方という形で考えてみると、人生の目的をもって心身ともに努力する事を前提として、中心に自分というものを置いて、周囲を見廻し「オール・ウィン」になるような生き方、それが私自身にとって効率の良い生き方なのではないかと思いました。チェンジ・オブ・ペースという言葉があります。一生懸命生きながら、手を抜くところは手を抜いた生き方、車のハンドルやブレーキに「あそび」があるように、常に自分の立ち位置を、時には立ちどまって眺める心のゆとりがあってこそ失敗の少ない人生を送れるのではないかと思っています。仕事上でも、人生を生きていくうえでも、一息入れてあたりを眺めている人の姿を、仕事や人生に必死に生きている人から見れば、手抜きをしているとみられるかもしれません。つまり、「サボっている」と思われるかもしれない一面も確かにあります。「サボる」の語源は、フランス語のサボタージュで、労働争議の際に、わざと労働者たちが機械をこわして、生産を妨害したことが由来とされていますが、この「サボる」を有意義な意味でとらえて、「サボる事の有効性」に着目し、「生きる」「仕事をする」というのも、現代社会に生きるものとして、必要だと思っています。また、「サボる」の効用として、時間の無駄遣いの中で、生きる価値や、仕事の重みに案外気付くチャンスがあるからです。私は全てイーブンの50%、50%で悪くない人生だと思っていますが、それを良いことが51%、その反対49%で充分成功した人生だと考えようとしています。ガツガツ生きないで…
38. 愛されないなら通り過ぎよ
哲学者ニーチェの言葉に『愛せないなら通り過ぎよ』というのがあります。この場合の「愛」は人に対する「愛」はもちろんですが、この世の自分を取り囲むすべての出来事に関する「愛でる心」について語っているものと思います。「愛」この文字には直接の「愛」以外、にニュアンスとして「やさしさ」の基となる感情の「親切」「温かさ」「上品」や更に「繊細」とか言葉の広がりからくる意味合いの拡大があります。ニーチェが言うところの愛」せないなら通り過ぎよ」という意味も「一度、広い視野でみるべきかもしれない」「愛にこだわり過ぎないように」「その事を忘れてから、もう一度その事を振り返ってみたらどうか」等の意を含んでいると私は思うのです。まして「愛」というものに、ヒトは盲目になってしまう事があります。このつかみどころのない「愛」に「情」という感情が加わると、抜き差しならない状況が出来てしまい、思いもよらない苦しみが、その先で待っていることがあります。人はこだわりを持つと、どうしても視野が狭くなります。その結果、そのものの本質を見誤る事が多々出てきます。ニーチェは哲学者として、それを人々に「問う」ているのでしょう「愛」についても、様々な角度から心の幅を広げて、「愛」の存在を掘り下げるマインドのコントロールがあって、しかるべきというのでしょう。心に抱いたその「愛」を愛とは何ぞやと自問自答し、その上で答えを出しても遅くない感情の世界なのかもしれません。人は心を持ち、その心は弱い存在です。ですから、こころしてニーチェの言葉『愛せないなら通り過ぎよ』をかみしめたいと私は思っています。
37. 孤独楽園
私の知人で、もうじき90歳に手が届くという男性がいます。かつては名のある一流企業の責任者として、仕事三昧の人生を歩き、仕事関係の仲間からも信頼され、更に家族にも恵まれ、自分個人としても十分満足感のある生活をしていました。まさに成功者としての人生です。そのような人物ですから「仕事社会」の第一線から身を引くのも遅く、70代の中ごろに現役を引退し今日にいたっています。引退後、人生は逆転します。引退した年に永年その人を支えていた夫人が病気で亡くなり、夫婦の間にできたたった一人の息子は、独身の登山家でしたが、外国の6000メートル級の冬山にアタックしていた時に、雪崩にあい40代で帰らぬ人となってしまいました。結果、私の知人は孤独の世界で生きることになってしまったのです。絶頂から不幸のどん底へ・・・以来およそ15年の独り暮らしが続いているのです。あいついで肉親を失った頃は、さすがに落ち込み、家に閉じこもりがちでしたが、ある時、忽然と気持ちの変化が起こり、若き現役時代を見まごうようなハツラツとして活動的な生活をするようになりました。そのきっかけとなった言葉がこれです。
『孤独って案外悪くないぞ、誰に気兼ねなく屁が出来る』と、言いながら笑って知人が言うには、「俺は依然、家で屁をするときでも、いつも周りを気にしていたけど、独りだとどんなでかい音をさせても、誰にも遠慮もいらないし、すごく開放感を感じたんだよ。屁一発で変わる人生観」、その人一流の物の言い方ですが、心のあり方で人生の扉が開くという事なのでしょう。それ以来、その人は若々しく死も恐れず孤独を楽しんで暮らしています。誇りを持った明るい孤独な人生・・そんな人生もあるのだな、と知人に会うたびに感じています。
さて私はどうなりますか。
36. 孤独
廻りを見渡し時、誰もいない。この時「淋しい」と思う人、「良いことだ」と思う人、たったこれだけで人生が変わります。実のところ私は「良いことだ」派です。常々私は「意味」も無く人と集って時間を使うの好みません。「孤独」というのは、他人との関係を断つという事ではないと考えています。「意味」のある人との付き合いは大切だとわかっています。では、私にとって「意味」のある他人との付き合いはどういうことかと言うと、仕事をして、そこから信頼が生まれる人間関係が「意味」がるという考え方です。逆な言い方をすれば、仕事を一緒にしてみて初めて、その人物の本質が見えてくるという事でもあります。言葉だけでなく、お互いに良い結果を出さなければ両社が傷つくからです。まして金銭の行き交う仕事であれば、なおの事です。つまり仕事は両社のツバゼリ合いの場ですから、良いにつけ、悪いにつけ、対処の仕方に人間として本質が出ます。その本質の部分で、信頼感が生まれた人とは「心」を分けて付き合うという事で、これが私の思うところの「意味」のある付き合いというわけです。単なる友達との顔合わせで、時間を無駄に使いたくないと、私は強く思っています。その時間を有効に自分のために使いたいですから。私は自分から普段、仕事以外の時は周りに誰もいない状況を作っています。いわば望んで孤独の世界を作っているのですから「淋しい」わけがないのです。ある著名な文化人が「孤独の世界は成熟した人間だけが到達できる境地」であると語っています。私が見るに、この文化人は「孤独」どころか、それを通り越して「孤高の人生」を歩かれています。私はまだ、そこまでにはいっていませんが、魅力のある世界ではあります。
35. 死を考える事は、死を考えない事
「人の一生は、赤子としてこの世に出現し、若者として育ち、壮年人として人生を働き、老いさらばえ、やがて病を得て、死を迎える」
産まれて死ぬまで、人と共に心の中に存在したと思われる魂が、肉体より放たれ共に昇ると考えられ、その時人間の体発生物から単なる物体になる、人が有機物から無機物に変わる瞬間が「死」だと表現する人も居ます。「老い」は「死」のプロローグだという考え方です。世界の中でもまれにみる長寿大国の日本「人生100歳時代」「平均寿命より健康寿命」等と、巷には様々な言葉がそれぞれに乱舞しています。古代、人々は死して天上に昇りKAMIと化すると考えられていたとか。「魂の昇天」という言葉にもそのようなニュアンスを感じるのは、私だけでしょうか。「老い」とは人間にとってどういう存在点なのか。生物学的には生まれて時が流れて、動物学的意味では肉体の細胞の活性化が衰えて、その結果である事は解かっているところです。しかし、ここに「心」という存在があります。心に関しては一筋縄ではいきません。人によって千差万別だからです。「心」はその持ちようによって、同じ「老い」を背負っている人々の間でも大きな個人差があります。「老い」たことすら感じる「心」を忘れた人、「老い」に関係なく明るい未来を見据える心を持っている人・・様々です。私の場合「老い」と「死」に関する「心」のポジショニングが決めてあります。「老い」に関しては何も考えない、また「死」に対しては、以前は「生きるために生きて」いましたが、現在では「良い死に方をするためによりよく生きる」・・・と。
その結果、現在「老い」についても「死」についても、何も迷いや悩みを持っていません。白紙状態です。
34. ストレスを感じることがストレス
現代人はストレスに全く関係なく生きていくことは先ず100%無理だと言ってよいでしょう。なにしろ社会は複雑で、しかも変化も激しく、その上速いスピードで世の中が動いていますから。職場・学校・家庭、等々ともかくストレスの種はそこら中にごろごろと転がっています。で、ストレスとはいったいどんなものなのか、考えてみました。外からの様々な圧力や刺激で、感情や体が不安定になる状態で、これがひどくなると、やる気がなくなったり、イライラしたり、そのあげく燃え尽き症候群になり、そのハテに「うつ」が待っているという方向に行きます。以上は外からの原因ですが、案外、ストレスは自分の心の内が原因で発生することも多いようです。つまり、自分の心の中で、何かを強く意識しすぎる事から生まれるストレスです。例えば、誰からも好かれる「いい人」でいたいと思い、そのようにふるまいそのあげく疲れたと感じたり、一生懸命努力をして生きているのに「なぜか満たされない」とか、何不自由なく全てハタからみても、自分でも幸せなのに、なぜか「むなしい」とか、自分の「心」の持ち方が原因で、一見するとワガママと思えるようなことも、本人にとってはストレスなのでしょう。実はストレスというのは、自意識の強い人ほど感じる度合いが強く、又その事に「心」を悩ます時間も長くなる傾向があると、心理学のある研究家は語っています。まt、何不自由のないのに心にポッカリとエポックの穴が開くストレス、これは本人が気づかないところで「もっと良いことが私にはあるはず」と考えていて、その「もっと」が見つからないことからくる「ムナシサ」なのでしょう、このストレスはかなり重症で、解決策は心のスイッチを切り替える事だと思いますが・・・
33. 言葉が思考を開拓する
「言葉が思考を開拓する」という発想があります。更にその「思考」は迷う事から開けてくると語る学者もいます。そして、更に、更に「考える」という事は、論理的な営みで、その論理的な営みは考える事の素材づくりだと学者もいます。「思考」の原点は、言葉にもならない「モヤモヤ」感、このカオス的な精神面のストレスがやがて一つの方向に渦を巻き始めたとき「思考」の芽が生まれるという事なのでしょうか。その芽が育って、言葉という形で表現が可能になっていくと、学者は論を展開していきます。言葉は「思考」の結晶なのでしよう。それゆえに「言霊」と言って、言葉に魂があって、そこから言葉の重みという考え方が、古の日本にはありました。「言葉の魂」とは、言い換えれば「言葉の生命力」という事でもあります。それだけに現代は言葉が軽くなったという言語学者がいます。つまり、言葉が軽いという事は、言葉になるまでの心理的なプロセスが軽いという訳です。その結果、かつて言葉が持っていた多面性が失われて、単純表現に近くなり、ニュアンスも乏しい状態・・・この傾向は増々強まっていくのでしょうか。「暖かい」この言葉を多面的に意味を考えてみると、「温度」の差を意味する「暖かい」、心のあり様の「暖かい」まなざい、笑顔の「暖かい」、その他、「親切」をイメージさせたり、「やさしい」の意味を持つニュアンスのものや多様です。言葉の世界には言語哲学という領域があると、吉田徹也氏はその著書『言葉の魂の哲学』(講談社選書メチエ)で、書かれています。言葉は人間のみが操れる財産です。豊かな言葉を使いこなすことは、豊かな文化的世界を人生にもたらしてれるものだと、考えるものです。
32. 答えのないのが人生
明治時代の哲学者、西田幾多郎は、明治44年41歳の時に「善の研究」を発表してその根を広めましたが、本のタイトルは「善の研究」ですが、哲学者の彼が思索を深めるのに力があったのは「禅」の修業だったと言われています。いかに西田幾多郎が禅の世界に深くかかわっていたかというと、家にいて真夜中でも、風邪をひいて体調が悪くても時間があれば座禅をしたという日記が残っているとか・・・さらに、日記には「志を大にして小利・小成を願うべからず」とか「一寸の光陰も重んずべし」とも記されているそうです。哲学と禅は人生を考え、いかに生きるべきか、というテーマのもとに「気づき」を得たいと思う心が、宗教と学問の壁を越えて多くの人々が注目するところなのでしょう。
禅は宗教という形を持って「我が心」に問いかけ、哲学は学問という論理を持って「我が心」に問いかけ、答えを得ようと努力するものだと私は思っています。そして、その目的である「・・・・なんぞや」は、「禅」でも「哲学」でも答えが無いのも共通している点です。西田幾多郎の話に戻りますが、全に深くかかわりながらも、片方でニーチェやヘーゲル等、ドイツ哲学をはじめ、自分自身の精神構造に役立てる為でしょうか、シェークスピアやゲーテも研究したと言われています。その結果の著作が「善の研究」なのかもしれません。人生を、生きることの意味を問い続けた一生と言っても良いのでしょうか。ともかくストイックな研究者で、日記に「菓子禁ず」「夕にパンを食う一時の迷いなり」とも記しているとか。
「人生とは何ぞや」を求めるには、「禅」では「禅問答」、「哲学」では「哲学対話」が必要で有効であると考えられているそうです。特に現代ではなおのこと大切だとか・・・
答えの出ない人生について・・・
31. 自分が見えないという事
自分とは何なのか、考えてみるに私は「自分のことが一番わかってない」と、思う壁にぶち当たります。「自分はこういう人間です」というハッキリしたイメージがわいてこないからです。だから第三者に向かって、自分の人間性を自からの口で説明したことはありません。というよりも出来ないのです。「自分の事が良くわからないんですよ」これが本心ですから。私の周りにかつて、自己表現の巧妙かつ上手な人物がいました。その人物は他人が、自分のことをこう言っているという言い回しをするのです。「○○さんは私のことを『とても温かい人柄で安心して付き合える』と言ってくれるんですよ」。ほかにも「『あなたには人に隠れた才能が有るのにそれをひけらかさないのが素晴らしい』・・そう言われると、その人達を裏切れませんよね」と、続けて「あたしは大した人間だと思ったことはないのに・・見ての通りの者ですから」・・・なかなか、巧みな自己表現です。自分の口からは決して自分の人間性は、こうだと、言っていないのです。「○○さん達」という第三者の口が私のことをこう言ってる。という、テクニックで自分で自分を褒めて宣伝してるわけです。私はその人物の言う「○○さん達」という人から直接その言葉を聞いたことは一度も無く、本人が自分の口で言ってるだけで、ひょっとすると「○○さん達」は誰もそんなことを言ってないかもしれず、下手すれば「○○さん達」の存在だって確認できないかもしれないのです。信じられますか?そのような人物を、「自分はこうだ」と直接話法で言わず、他人が私のことをこう言っているという間接話法で世間の評判を語るふりして、自分の口で自分を褒める・・・「私はそうは思ってないのに世間ではこう言って私を評価しているんです」と言う話法。
こういうタイプの人物が、自分が見えてない最たる人物だと思えるのですが。
30. 一人の時間・孤独・ひとりぼっち
「咳をしても一人」「屁をしてもひとり」・・・一番孤独を実感するのは、この時だとある作家は書いています。で、この作家はそれを嫌とは思っていないのです。更に「孤独」と「ひとりぼっち」は違うと発言しています。「孤独」は自分から求めた結果で「ひとりぼっち」は、自分は他人と関わり合いを持ちたいのに、世間の誰からも相手にされない現象をいうものだとかで・・・。
「孤高の人」という言葉があります。これは人生の階段を登り続けた結果振り向いたら周りに誰もいなかった。というような人生を歩いた人のことを言うのでしょうか。こういうタイプの孤独の人は芸術家や優れた腕の持ち主の職人等に、その昔には多く見られたと言います。そしてその生き方は顔に出るとか・・確かに何の道でもそうですが「何か」を究めた人の顔は仏の顔に近く、体から発散する雰囲気も、品性に美しさを感じさせるオーラを自然に漂わせる存在です。私は平凡な人間で、他人より優れた部分のある人間だと思っていませんので「孤独」な人生を送るには、かなりの決断と勇気がいるのだろうと思っていますが、先の作家によると、孤独の世界に生きられる人は「選ばれた人」で、その作家から見てすばらしいなと思える人は皆、孤独なのだそうです。また、孤独を上手に生きる人は何事もやり遂げられるひとだとかで、「孤独」に生きるか「群れて」生きるかは本人の「心」のスイッチを切り替えられるかどうかだそうで・・・それはさておき、私の知人で98歳まで独身を貫いた女性が「独り暮らしなのでともかく元気に暮らすことを心がけてる」とか・・、食べたい時に食べ、寝たいときに寝て、好きな事をして、したくない事はしないと、本能のままに生きてると言っています。「友達もみんなこの世を去ってしまったし、だからと言って、人と群れるのは好きではないし、今一番心が平らな暮らしをしてます」・・・そうです。
29. ライフ・プラン
人生100歳時代と言われるように、日本は長寿国として世界に広く知られる存在となっています。平均寿命も男女ともに80歳を超える時代・・仮に65歳で定年だとすると、それから35年程の年月を毎日が日曜日という生活を送るという現実は、想像以上の大変さがあると思います。銃乳は年金が中心になり、実生活上の不安もこれに加わって、悲観的な心を持つ人も多くなるかもしれません。また、リタイアしたシニア世代だけではなく、人生で最も活躍できる40代、これからの人生を生きる20代、各年代ごとに様々な不安感を持って生きているのが人間と言えるでしょう。これらの各年代及び男女・・つまり全ての老若男女にそれぞれの人生の条件に合わせた人生設計、ライフ・プランが必要となってくると思います。一口にライフプランと言っても、千差万別で一人として同じプランは無いと言ってよいでしょう。現在、地球上には70億人が生息していると言われています。つまり、ライフ・プランも70億とおりあるということでしょうか・・・その道の専門家はライフプランを立てる上で4つのビジョンを持つことを勧めています。
① 確たるビジョンを持つ事
② ありたい自分を想定する事
③ 何かが出来ると信じる事
④ 確実な計画を立てる事
で、漠然とした不安が朗らかな課題に変えられると知る事。
考えてみると、この4つは全て「心」の中に存在する世界です。①の「ビジョン」を言い換えれば「目的」を持つ事でしょう。②の「ありたい」を「・・・のだ」と断定的に心を決めることで「信念」に変化するし、③は将に②の先に「心」の中で生まれる考え方で、④は1②③の結果として現実になる事柄と言えます。私もこれからの人生設計をもう一度「心」の世界から見直して考えてみたいと思っているところです。
28. 夢
夢は起きている時に見るものと、睡眠のさなかに見るものがあると私は思っています。
先に挙げた夢は、我が身の行方を思い描くもので、社会に役立つ人間でありたいとか、何年後にはこんな人生を歩いていたいとか、実現可能でも不可能でも、それに関わらず心に思い浮かべる夢が存在するわけです。このような夢は時として空想をも言われますが・・・
ちなみに私の場合、この空想の類が多いのが特徴で・・・・。
公社の睡眠時にみる夢、将に夢ですが、未だに人間はなぜ夢を見るのか、その原因がはっきりと科学的につかめていないのだとか。
「夢」は脳の働きによりによって起こるのも原因の一つであるらしいのですが、中々そのメカニズムは一言で語れるほど簡単なものではなく、心理的な要因も絡んで、とても複雑なものらしいのです。他方「夢占い」とか「夢枕に立つ」とか「正夢」等、夢には色々な言葉があり、ハッキリ、ストーリーのある夢を見る人や、支離滅裂でハチャメチャな夢を見る人もいたりして、十人十色です。つい先日、私は夢のことで友人からこんな話を聞きました。その友人は常日頃「自分は夢を見ないタイプだ」と言っている人物で、その日「久しぶりに夢を見たよ、それもさ、10年も前に亡くなった母とけんかの口論してる夢なんだ、それも延々と・・・でもなケンカの内容も、原因の全然はっきりしなくて、ただ母と口喧嘩しているシーンが次々と夢に出てきてさ・・でも目が覚めたら、なつかしくて、すごく心が暖かだったよ」そう言うと友人は遠くを見つめる目で「そうさなぁ、おふくろと何年ぶりに話をしたことになるのかなぁ」となつかしそうに、つぶやいていました。友人は7歳の時に父を失い、それ以来母一人子一人の生活をしてきたので、友人にとってその夢は心を癒してくれるものだったのでしょう。
27. 我が心は、我が物に非ず
ある先達から聞いた言葉があります。「反省しても、それだけで終わっては何の意味も無い、反省しないよりは、少しましって事だよ、その先が大切、その先を追及しなくてはな・・」
確かに、かつて「反省だけならサルでできる」と、変な言葉が話題になった事がありました。で・・・考えてみました「反省の先って、何だ・・、どうする事だ・・・」色々考えているうちに、突然・・「心をととのえる」という言葉が脳裏に浮かびました。「心をととのえる」という言葉は以前、目にした、貝原益軒が「養生訓」の中で記していた言葉です。貝原益軒は江戸時代前期の学者ですが、「養生八訓」を示したことで広く知られた人物として、私の記憶の中にあった人です。「そうか・・心をととのえる・・か・・・」では、それはどういう心の持ち方なのか、「感謝の心を持つ事なのか・・」「自分の心のあり方に不平不満をもつ事なのか」「自問自答して、心を平らかに保つ事なのか」「自意識をしっかり持つことなのか」・・・いろいろ考えても「これだ!」という答えが出てきません。モヤモヤが、私の全身を包んでいる感じで・・・。ただ、確かな気持ちとして、私にあるのは「今の自分のままで、あってはいけない」と思っていることです。つまり、自分の人生の立ち位置を今までと替えなくてはいけないと思っているという事です。それは、もしかすると、今までの自分の全てを否定する事なのかもしれないので・・・しんどい話で・・、現在、何も見えない中で、ともかく、自分の「心」の位置を変える努力から始めようと決意したところです。さて、どうなりますか・・・
26. 自分を高めるマインドフルネス
社員の「心」をコントロールし、自分を高める実践的な効果があるというわけで、アメリカのグーグル社等をはじめ多くの企業が「マインドフルネス」という、いわゆる瞑想法が行われていると紹介されて久しくなります。この「マインドフルネス」を日本の企業でも、社員教育に取り入れている企業もあるとかで・・・「マインドフルネス」のルーツは、仏教の「禅宗」で行われている修業法のひとつです。かの世界に広く知られているアメリカ企業「アップル社」の創業者スティーブ・ジョブスが座禅を組んでいた話は有名です。座禅は、紀元前5世紀ごろ、ゴーダマ・シッタルダ、つまり「お釈迦様」が菩提樹の下で悟りを開いた時の姿勢だと言われています。座禅のポイントは、背筋を伸ばし、口を閉じて、目線はおよそ、1メートル前に落とし、目は開かず閉じずの状態で、下腹に意識を置いて、腹式呼吸し、両手は印を結び、足は結跏趺坐という組み方で「無心」を心がける修業を言います。この「心の無」を求める・・という事は「心」に何もないというのではなく、「有る」と「無い」との意識の境界を感じなくなる心の世界だとか・・・そして、その先に「常ならぬ」無常というものが心の中に広がり、全てを超えた心境に「心」があるがままになる・・・これを私は勝手に、何事にも自分の心が「ゆれ」なくなる状態だと考えていますが、さて・・・はたして、無常の心は私にほほえむでしょうか・・・先ず無理でしょう努力はしますけど・・最後に座禅効果として、脳内にセロトニンが分泌されてアルファー波が出るので、脳がリラックスした状態になり、脳の健康の為にはプラスだそうです。
25. 「聞く」より「聴く」
ある心理カウンセラーが言っていました。「人から信頼されたいと思ったら、相手の話の聞き上手になる事が大切です。」と、更に「聞き上手になるには、目と耳と心で相手の人の話に対応する必要がある」とかで、これはカウンセラーにとっては、必須条件なのだそうです。つまり、キクを漢字で表現すると「聞く」ではなく「聴く」の方がとか・・、確かに「聴く」という字には、「耳」と「目」そして「心」が描かれています。
一方「聞く」は「耳」だけです。目には人の本心が表現され、心と目と耳で同時に言葉を「聴けば」真意が理解でき、相手の人にもそれが通じるので、深い信頼が得られるのだそうです。つめり、話を「傾聴」する心を持つことが大切だという訳です。確かにカウンセラーは信頼されることが命という存在ですから・・、そして、次に必要なのは、相手の話を最後まで、口を挟まないで聞き、その時、しっかり相手の目を見て「聴く」事だそうです。カウンセラーの必須条件というわけです。これはカウンセリングに関わらず、一般的な人と人とのコミュニケーションの上でも、役に立つ対応の仕方で相手の気持ちも考えずに、信頼されたいと一方的に自分の考え方や思いを語り続けたりすると、逆にそれまで築いてきた信頼までも損なってしまう結果になります。ました、初対面の相手だったら先ず信頼関係は生まれないでしょう。つまるところ「人」と「人」との付き合いは「心」と「心」のふれ合いですから、先ず自分より先に相手の心を、思い計る「ゆとり」や「やさしさ」が必要なのだなと、このカウンセラーの方の話を聞いて思ったところです。
24. ストレス解消に役立つ、ポジティヴ・シンキング
かつて、ワールドカップに出場した、あるサッカー選手は一時、大きなスランプに落ちたことがあるそうです。それはヨーロッパのチームに移籍した時、初めは自分の実力なら十分に通用すると思っていたのに、すぐに大きな壁にぶつかったそうです。先ず「言葉が通じない」から「監督の指示」も理解できない・・・その対戦対手のチームは180㎝以上の大男ぞろいで、体力負けして、自信のあった自分のテクニックは全く通じなくて、その結果、試合の出場機会を失った・・とかで、「俺は何でヨーロッパまで来たのか・・」と毎日悩んでストレスがたまり、暗い気持ちの日々を過ごしたそうです。そんなギリギリの状態に追い詰められていた時、チームのメンタルトレーナーから「置かれた環境に感謝して、できる事からやって行こう」と手を差し伸べられたのが、精神のターニングポイントだったそうで・・その日練習場の木の葉に反射する日光の美しさに感動して涙があふれたと語っています。そして「何でいままで気付かなかったんだろう、一寸したことでも、いいことを見つけて感謝していこう」と、その選手は思ったそうで・・、私はこういう「心」を持っていた事が「人」として、この選手は素晴らしいと感じています。ストレスを解消するには、ポジティヴンキングが有効だと精神医学の専門家も言っています。つまり同じストレスの元になる出来事・精神的苦痛でも、物事のとらえ方次第で、ストレス感情の不快感を減らし、前向きな気持ちに変えられるう訳です。また、精神医学門家は、物事のとらえ方をポジティヴに変えるために「ストレス日記」をつけて、数日後にその日記を読み返すことを続けると有効だと言っています。
私は、感謝の心を持ちたいと思っています。これからの人生のために・・・
23. 良い人とは
ある新聞で、一般の中年にさしかかった女性からの投書で、「良い人でありたいと努力するこ事」に疲れたという文章を目にしました。その文章から、その女性は非常にまじめで、真剣に自分の人生を見つめている様子が感じられました。で・・・私なりに考えてみました、「良い人」とは「どういう人」の事なのか・・先ず始めに思ったことは「他人から見てよい人」なのか「自分自身から見た良い人」なのか、この見方の角度の違いだけで、大きく、内容、意味等に差が出てきます。まさに「良い人」とは、何ぞや・・的世界です。他人から評価されるのは悪くないでしょう・・・でも、「評価してくれる他人」が、他の人を正しく評価する事が出来る、教養、性格、精神等の持ち主ならよいでしょうが、そうでなければ、その「評価してくれる他人」の評価は、本人にとって何の意味もないとも言えるかもしれません。また、自分自身の視野で「自分はまじめな人格者を目指して、ずっと生きてきたから、世間の人から見ても「良い人」と評価されているハズ」だと考えたとしたらどうでしょう・・・。見方によっては「独りよがり」で「自己中心的」で「自意識過剰」として世の中の人の目には映るかもしれないのです。つまり何事もそうですが、この「良い人」という思いについても様々な見方、評価、価値観があって、一様には言えないことだと思います。「心」の世界はまさに広く深いので私などは見つめれば、見つめるほど、答えの見つかりにくい存在だと考えてしまいます。で、この投書に対して、回答者は精神と体の調和をとって「無なる心」を目指して頑張ってください。と、応えています。私は「良い人」である事とか、また、反対に「自分はだめなんだ」と思ったりすることは、どちらも邪念なのかもしれない・・・と、「自問自答」したいところですが、まだ正解は出ていません。
22. 挫折から学んだ事
「明日死ぬかのように生きよ」これはインドの独立の父と言われる「ガンジー」の言葉です。そしてガンジーは、こう続けています。「永遠に生きるかのように学べ」と・・・、この言葉に出会って大きく人生観が変わっただけでなく、生き方まで変わった・・・という個人競技のアスリートがいます。その人は勝ちたいという欲が消えたと語っています。それまでは勝ちたいと思う気持ちが強く・・、つまり、ゴールした時の着順にこだわり過ぎて、結果、心と体がアンバランスに働き、良い成績があげられず、長く悩む年月が続いたそうです。その時「ガンジー」の言葉に出会い、何かがスッと吹っ切れたとか・・・、また、別の団体競技の選手は、海外のチームに移籍した時、自分では「活躍したい」、「出来る」、との一念で海を渡ったのですが、言葉が通じなく、したがって指揮者の指示も理解できず、対戦相手は屈強な大男ばかりで、自分の自信の基だったテクニックが全く通じなかったので試合に出られなくなった・・・。二人は挫折したわけです。先のアスリートはその時自分を見つめなおす言葉に出会い、後者の選手はチームのメンタルトレーナーから「おかれた環境に感謝して、できることからやって行こう」と言われ、次の日、木の葉に当たる朝日の美しさにハッと胸をつかれ「何で今まで気が付かなかったのだろう」と、二人は「心の芯」に届くポジティブな言葉を大切にし、周囲に感謝して競技に打ち込んでいるそうです。
人の心は「ゆれる」ものです。まして挫折感にさいなまれている時、私などは大揺れに「ゆれ」てしまいます。二人から学ばなくてはいけないと、つくづく感じる話です。
21. 水商売は嫌いです
「水商売は嫌いです!」妻の一言があって「経営の神様」と言われた、今のパナソニックの基となる「松下電器産業」が誕生したと、創業者の松下幸之助は語っていたそうです。
「ぜんざいが好きなので、ぜんざい屋をやってみようと思っていたけど・・・だから電器屋をやるようになるとは思ってもいなかった」将に松下幸之助の運命を決定づけた妻の一言といえます。
言葉には「魂しい」がある、という考えから「言霊」という言葉が生まれたと言われています。言葉の持つ不思議な力・・・おのれの心を奮い立たせるのも言葉なら、心を落ち込ませ傷つけるのも言葉です。そこから人は、言葉の霊力を信じ「格言」を生み「いましめ」の言葉を心に持つようになったのかも知れません。
こんな格言もあります。「人は必要な時に、必要な人を出逢う」。松下幸之助も将にそうです。町工場から大企業に発展させるプロセスにおいて、大きく貢献し、研究所長や副社長を務め、後に松下の技術の総師といわれた中尾哲二郎と出逢った事です。また、「この道より我が道は無し、歩き続けるのみ・・」と、語った芸術家が居ます。松下幸之助も同じようなニュアンスの言葉を生涯に60冊以上の本に著した中で、語っています。
「自分に与えられた天与の尊い道がある」信じてその道を歩き続けた結果後に「経営の神様」と言われる人生の答えが得られたというわけでしょう。「不可能の扉を開けると、可能の灯火が待っている」という格言を、松下幸之助の生き様から、私は思い浮かべました。また、松下幸之助の本を読んで、「何か成そうとする時は、先ず心の底から、そうしたいと思い込まねばならない。強い意志が経営者に必要なのだと気付いた」と語る経営者がいます。「京セラ」の稲森和夫名誉会長です。
20. 作り笑いの効果とは
かつて、何かの本で「作り笑いでも良い、苦しい時ほど、はじけるような笑顔・・その事が大切」と教えられた記憶があります。『笑い脳~社会脳へのアプローチ』(岩波書店)の著書のある、実験心理学の第一人者、苧阪直行先生によると、人が面白いと感じる時、大脳内の線条体が活発になって、ドーパミンという神経伝達物質が刺激され、顔の筋肉が笑いのモードになって動くとかで・・・で、逆方向・・つまり、顔の筋肉を笑いのモードで刺激すると、反対のルートをたどって、脳の中で楽しい気持ちが作り出されるそうです。早い話、作り笑いをすると、楽しい気分になる・・とか・・・。
これは楽しいから「笑う」のではなく、「笑う」から「楽しいという気分になるとも言えるのだ」そうです。同じような発想から、アメリカの精神医学会で始まった、医学的活動があります。「アティテューディナル・ヒーリング」と呼ばれるもので、これは物事の見方、考え方を意識的に変化させることで、心の中の不安や、恐怖の思いなどのマイナス要因を、プラスにさせて、心の安らぎを身につける事が出来る様にするカウンセリングだそうです。
「作り笑い」も心の「マイナス」要因を「プラス」に変えるのも、「心のスイッチ」を切り替える作業ということでは、根本的考え方、また、その結果の求め方は同じだというわけです。「心」とは人それぞれによって、「有り様」が違いますから、中々コントロールが難しい世界でもあります。また、別の精神科の先生は、多くの人々が「心のコントロール」という「心の掃除を続けていけば、この世の中は秘話になる」とも発言されています。
鏡に向かって作り笑いをして、その笑顔を鏡を通じて見るだけで、楽しい気持ちになり、それを毎日続けることで人生も大きく変わるとか・・・。
今朝、私も鏡に向かって「ニィーッ」と作り笑いをしてみました・・・。
19. サムシングがある
「私にはサムシングがある」そう信じて生きるべきです。これは、ある心理学者が50代にさしかかった女性から悩みを訴えられたときに、その相談者の女性に答えた第一声の言葉です。その女性の悩みと言うのは、夫婦円満で子供は無いけれども、暖かい家庭を営み生活は裕福ではないが、並の生活は出来ており、体も健康で、友人をはじめ人間関係でも何の問題もなく、ハタから見れば幸せな人生を送っていると言えるでしょう。でも、自分にはこれと言った才能もなく、また、この先に対しての夢も無く、毎日平凡な生活をしています。これかもその様な人生が続くのかと思うと、いら立ちや不安感がつのって「何のために生きていくのか」と思い、それでストレスが溜まって「ウツの状態になる事があります」・・と、むなしさを感じている自分から、どうしたら脱出できるかというものでした。
心理学者は語ります。「地球上にはおよそ、70億人の人たちが存在しています・・そして、誰一人同じ人生を歩かないのです。つまり70億通りの人生があるというわけです。その人ならではの、他の人にはない、違った長所・・・優れた才能があるのです。それが「サムシング」です「天」は人が生誕したときに一人一人その人にふさわしい「サムシング」を用意していてくれてます。貴女にも、あなたにふさわしいサムシングが用意されていることを信じて下さい・・・」そうして更に・・ただ、自分のサムシングは「どういうものか」と見つける「努力」・・・見つけたら、それを身につける「努力」!この二つの「努力」をする事で、あなたならではのサムシングが得られて、あなたのこれからの人生が素晴らしいものになるでしょう。頑張ってくださ・・・
これが答えの結びでした・・・うーん・・・なるほど・・・
18. 一心不乱
「仏の道の一つ」・・・禅宗に臨済宗があります。有名な「一休さん」は臨済宗の禅師です。この臨済宗は鎌倉時代に、僧侶栄西が中国から伝えたと言われ、当時の貴族が、競って「帰依」したとか・・この「禅」の修行で、有名なのが「座禅」でこれは全てを「空」にして「無」なる心を持つことが「仏」の世界に近づく道だとして、行われるものだそうです。又、別な修行の形としてk、禅問答があります。二人の僧が向き合って、立会人の高僧を前にして、日頃の修行の成果を競うもので・・・「ソモサン」「セッパ」と二人が声を掛け合った後、「汝の心のあり様はいかに」「大海の如し」「・・してその証は・・」「我が眼中にあり・・・」・・・この問答は古典落語の「コンニャク問答」の引用ですが、でも、まるっきりバカバカしいものでも無いようです。俗に「目は心の窓」という言葉もある様に、その人の本心は目に出るからです。目を見れば、相手の心のうちの本当の部分が、解る人には解るからでしょう「大海の如し」とは、「大海原の様な、大きな心を私は持っている」と言ってるわけで、これは「シャカ」の「広大無辺」を下敷きにしていると考えられるからです。又、こんな話があります。ある禅寺の年老いた僧侶が、夜明けから日没まで一年中寺の畑を何十年も耕している姿を見た若い僧侶が「あの方は仏の道を歩いているとは思えません。経典を学ぶでは無し、座禅を組んで修行するでは無し、只、毎日・毎日あのように畑を耕しているだけで、とても僧侶の修業をしている方とは思えません・・」と、その寺の貫主に訴えたところ「あのものも僧侶として立派に仏の道の修業をしておるのだ、『一心不乱』に一つの事を行い続ける事は、中々出来ないものだ・・・お前はまだ若いな・・」この答えに私はとても勝てません。
17. もう一度言いたい、愛していると
「人は常に2つの対立の中で生きている」精神科医で作詞家の、きたやまおさむ氏はこう記しています。「意識」と「無意識」、「本音」と「建前、「表」と「裏」等、そして、こうも語っています。「この二つは決して、交じり合わない・・互いに橋がかかるだけ!」・・と、確かに私も人の顔色を見て、それに合わせたものの言い方をしてしまう事が多くあります。その方が無用なアツレキを防ぐのに役立つと思ったりして・・将に「本音」と「建前」で・・・一頃、若者達の間で「KY」という言葉が盛んに使われた事があります。「クウキをヨム」の意味で・・これも「本心」をさしおいて「建前生かす為の方便にしたがたもので・・」「本音」と「建前」には常に言葉がつきまといます。「本音」であろうが「建前」であろうが、言葉には「言霊」と言って魂が乗り移るので、言葉自体が一人歩きしてしまう事もあり、その為にトラブルとなるケースも多々見られます。更にきたやまおさむ氏は、「言葉には「うら」と「おもて」があって、「うら」の「本音」を言葉で吐き出す事が出来れば、楽に生きられる・・・はず・・」と記しています。
「うら」というのは本来、古い言葉の一つで「こころ」を意味するものだとも紹介しています。これは精神科医のきたやま氏の着眼でしょうか・・・ならば、人の言葉を聞く時、その裏を読む技量や、心の広さ、大きさが必要になって来るのでしょう・・・・・・
その人の発する言葉の「真実」の「心」を知る為に・・・又、その文章の中で「現代社会では言葉が表ばかりになって、人は疲れ切っている・・でも、言葉は生きる支えになる・・・ただ、どこか言葉で自分の心が切り刻まれるのを恐れている多くの人が居る・・・・でも心ってまだ言葉になることを持っていると思う」・・・と・・・私の心の中で待っている言葉があります・・・その言葉は「愛してる」・でも、その言葉をかける相手が居ません。
16. バカは死ななきゃ治らない
「バカは死ななきゃ治らない」・・・こんな言葉があります。私はこの言葉は乱暴だけれども真実だと感じています。ものの本によると、人間は生まれていて本質的に「バカ」か「リコウ」かこの二派のどちらかに分かれて生命を得て、この「バカ」「リコウ」は一生つきまとうものだとか・・・この場合の「バカ」「リコウ」というのは学校の成績や、仕事上の「成功」「不成功」等では無く、人間的な本質上での「バカ」「リコウ」という意味で・・これは天命だと、その本には書かれていました。ふり返って、私自身を見るとあきらかにj分の人間的本質は「バカ」です。「物の見方」・・「人生の考え方」・・「生き様」・・どれをとっても、一本筋の通った生き方を今までしてきたかと言うと、その真逆の生き方をして来たからです。それは結果が示しています。ふり返っても、何一つ「コレ!」という人生の足跡を残していないからです今迄󠄀・・・それなりに考え、全力で努力して来たつもりなのに・・この、つもりが「クセ者」で、自分の思い込みから生じる行動の全てが裏目に出る形で・・人生は本来一本の線であるはずなのに、点、点、点の連続で・・その時々の気分で動く・・これはもう人間的本質的「バカ」以外の何物でもありません。この本質的「バカ」は、その本を読むと治らないそうで・・、そこで冒頭の「バカは死ななきゃ治らない」の言葉が私の頭に浮かんだわけです。一生つきまとう「バカ」・・そして多くの人々は人間的な本質の「バカ」「リコウ」のどっちに属しているのかさえ考えずに人生の終末を迎えてしまうと、その本は書いているのです。全く恐ろしい事で・・ただ救いは存るとかで・・・本質的バカは生涯治らなくても、努力でその「バカ」を隠す事が出来る様になるとか・・隠す事が出来る様になるには、常日頃「心」を「磨く」のを続けるのが絶対条件だとか・・・・。
15. 人間には3つの性格があるとか
「え!?私の性格は3つも、あるのか?!」。そういう説を紹介している心理学専攻の大学教授が解説しています。自分の性格には・・・「①自分が考える自分の性格、②誰かと2人以上の小さなグループで一緒にいる時の、自分の性格、③大勢の人と共存している時の自分の性格」の3つのパターンがあって、自分の性格が様々な形で、見事に変化するのが2番目なのだそうです。①は俗にアイデンティティと言われる形の自分の性格で、つまり「自分が自分の事をどう考えるか・・というもので未来の自分を、過去の自分が体験した事などから、今の自分を見るものですから、他の人達との違いが無いといけないので、変わると自分自身で思いにくい」のだとか。③は「他の人と較べられて決められるもので、スポーツのチームや会社での社員グループとか、又、団体の中で自分の性格が他の人達より『劣る』とか『暗い』とか、思う場合で、アンケートによる性格の調査で判断されるのは、この性格で・・これも変わりにくいもの・・」だというわけだそうです。考えてみれば、心を許した少数の人達の中では‥・例えば、親兄弟や家族、恋人、親友と思っている人等には、その時々で性格的には、色々な変化を見せるものです、将に「喜」「怒」「哀」「楽」を素直に表現しやすいので、「そのつど性格を変えている」・・とも言えるのだそうです。私も若い時は②のパターンでしたが、年を積ねたいまでは個人的な「喜」「怒」「哀」「楽」は捨てていますから、「鉄仮面」みたいなもので・・・
先の先生はこう提言しています「性格は変わらないと思わないで、心を複数の視点で切り替えられる事を知って、性格の変化を楽しむぐらいのつもりで居た方が、良いのでは・・」
だ、そうです。
14. 心のスイッチを切り替える
心のスイッチを切り替えると、同じ現象でも見方が変わってくると言います。自分中心で物事を評価するか、第三者的立場で、同じ物事を判断するかで、全く違った結果になることがあります。精神科学の世界に「A・H」という分野があるそうです。これはアメリカの精神科の医者が始めた「アティテューディナール・ヒーリング」の略で、物事の見方を意識的に変えると、心の中にある「恐怖心」や「不安感」を長時間持ち続けないで、心の安らぎを得られるようにする方法を身につけるカウンセリングだという事です。恐怖心とか不安感というのは、自律神経の不調からくる場合も原因の一つだとかで、ある意味では内向的になる精神状態なので、まさにここで、心のスイッチの切り替えが大切だというわけです。
方法として、つとめて明るい気持ちになれる様にアドバイスするとか。本人が自ら前がみられるようにふるまえるようにカウンセリングして、外に出て多くの人と会い、語らうとか。
また、逆に思いっきり泣くのも良いそうです。涙を流すことで、心が癒されるからだと言われています。
私の心のスイッチの切り替え方法は、「自問自答」をすることです。自分の心の内に、「自分A」と「自分B」を同居させて、ケンカをさせます。例えば、「自分Bよ、お前は考えが甘いんだよ、又、ダメだったろ。何回同じヘマすりゃ気が済むんだよ」。「でも自分Aよ、今度はさんざん考えたあげくで、不可抗力だよ」。「それが言い訳なんだよ」。「だからって、お前に文句言われる筋はない」。「失敗しておいてつべこべ言うな」。「じゃ、どうすればいいんだ」。「それを考えるのがお前のつとめだ」。
この、自問自答は本当のところ苦しいです。自分の心に、自分で傷をつけるわけですから。
でも、自分自身の人間的成長のためには必要なことだと思っているのです。
13. 吾が前に道なし
「吾が前に道なし!」この言葉は詩人で、彫刻家の高村光太郎が文書に記したものです。
芸術家は自分の芸術表現の道を、自ら切り開いて歩んでいく。そのような強い気持ちを現した言葉だと思っています。私は芸術の事はよく解りませんが、この高村光太郎の言葉から、芸術家として目指す道に対する、一途さと純粋さを感じますし、そして確かな覚悟も・・、「覚悟」という単語を分解すると「悟」は、立心偏に吾と書いて、自分の心を意味して、それを「覚」おぼえる、つまり「心」のあり方を表現しています。
まさに、自分の「心の世界」そのものです。私は常々、自分に言い聞かせている言葉があります。それは、「・・・をしたい」ではなく「・・・をする」つまり願望的ではなく断定的でなくてはならない、そんな意味の言葉で、自分の心を奮い立たせているのですが、どうも、いつも結果が悪くて困っています。おそらく高村光太郎ほどの強い決意にわたしの心はかけているからなのでしょう。そのくせ「夢など持っても意味はない。夢を目的に替えて持たなくては駄目だ」などと生意気なことを自分に言い聞かせたりしていますが・・。
これもダメで、困ったものです。つまりは思うことが一人前でも、それだけの決意と実行力に乏しいのが自分なのです。「心」が弱いというわけです。でも、このままではいけないと考えて、『何故駄目なのか、結果が出ないのか』、考えはまだまとまっていませんが、一つ思ったことは、気持ちはあっても目的がはっきりしてないからかもしれない。まず確固たる目的を持つことだ。その目的に向かんて進んでいく。そうすれば自分だって、もしかして・・
今、私はその目的を探しているところです。つまりストレイシープ、迷える子羊という状態にいます。
12. 「心」のゆらぎと、感情の乱れ
「自分の本当の姿は、何一つ解らない!」そんな気持ちになることがあります。他方、「岡目八目」という言葉があるように、他人の事はよく解る、というより、他人の事が気になり解った気分になっている、と考えた方が良いかもしれませんが・・人を見て、ああだ・こうだと評価しがちです。実際自分の顔でさえ、一生ありのままの状態では、見る事が出来ません。鏡を通して、左右反対にしか見られず、その鏡に映る自分の顔を見て「あゝそうか、こういう顔を自分はしているんだ」と、自分自身で納得しているだけです。私はっ自分にとっての「喜・怒・哀・楽」は個人的な、その時々の「心」の動きに他ならないと思っています。
感情の起伏や波は「心の動きが表面に出てきたもので、その自分の「心」の動きに、実は自分自身が振り回されているだけではないのか、など、いろいろ持って回った感じで考えたりしています。自律神経のコントロールが上手くいかないときに、「気持ちの乱れ」つまり「心の揺らぎ」が大きくなりがちの自分がそこにいます。その時「自分の本当の姿は、何一つ解らない」気分にさいなまれるというわけです。自分では常日頃「平常心」でいたいと思っているのに、なかなかそう行かず、喜んだり、うろたえたりして自分自身の感情に振り回されているのが現状です。
「平常心」、何事にも動じない「心」を持ちたい。これがとても難しい。「人間は感情の動物」だという言葉もありますが、全ての感情は心の奥底にあるべきものと、私は考えているので、自分の「平常心」のなさが自分を見失い、鏡に反対に映る自分の顔どころか、自分の心のあり様がわからず、もがいている私がいるのです。常に平らか心、それを何とか持てればとながっています。
11. 心の持ちようで、若々しくなれる!?
この間、古くから知り合いの女性と、久しぶりに会う機会がありました。その女性は以前はいつ会っても、地味な黒っぽい普段着のようなものを着ていて、化粧もしない、身の回りにはあまり気を使わない人でしたが、会ったその日は薄いピンクのワンピースを着て、化粧も念入りにしていて、56歳の女性ですが10歳以上若返ったように若々しく見えて、なんでも60歳の男性に恋をしていて、結婚の約束をしたとかで・・それでか・・と、行動遺伝学が専門の大学教授によると「恋をすると、喜びや感動が活発になり、脳が刺激されて、脳細胞の働きが高まり、自律神経を動かすので、その結果皮脂の分泌が盛んになって、肌がツルツルして見える上に、瞳孔が開いて黒目が潤むので、目が輝いて見えるから、若いと感じる」のだそうです。自律神経が活性化するという事は「心」を活性化するというわけでしょうか。
また、「男と女はなぜ惹きあうのか」の著者である、山元大輔先生は「女性が男性に好意の感情を持つと、脳の前頭眼窩野が興奮する」ので、フェロモンの分泌が盛んになり、若々しく見えるようになるらしいのです。
また、免疫学の先生によると「人は恋愛感情を持つと、交感神経が働き、相手からやさしくされると安心感に包まれて、副交感神経が働き、この二つの神経のスイッチが、タイミングよく切り替わることで、自律神経が活性化して、その結果、免疫細胞が活動的になり、免疫力の低下を抑えるのです」だ、そうです。
ある女流作家は旦那さんに、毎日「愛している」と言って若さを保っているとか・・・
人に対して「愛する心」を持つのは、若さの秘訣なのかもしれません。
私? 私の「心」は老いるのみでしょう。
10. 自問自答
ふと、子供の頃を最近思い出しました。もう何十年も昔の事ですが、よく亡くなった母から、勉強はもとより「・・・をしなさい」といわれると「後でするよ」と後で答えるのが常でした。「いつも後でするよというけど、今すぐやりなさいよ、その悪い癖はなおしなさい!」
と叱られたものです。「後でするよ」と言ってる時、自分は何か手に負えないことを何かやっているのかというと、
そうではなく、ただ遊んでいるだけなのです。つまり、面倒くさいし、やりたくなかったからで、その時、母に言われたことをするのは「苦痛」以外の何物でもでもなかったからです。
でも、その時の「イヤ」なことは結局、後になってやらなければならなくなって、焦ったり、慌てたり、時間に追われてするわけで、余計苦しくなるという結果が待っているのです。「イヤ」なことは何でも後回し、これが私の持って生まれたクセで、クセというより欠点でした。
それは大人になっても続いていて、未だにそうですから。性格は直らないものだと、つくづく感じている現状です。でも、性格的な欠点は何とかしなくてはいけない・・という事は解かっているのですが、それが、なかなか、心理学的な見地から言いうと「自分の考える自分の性格」は「自分の事をどう考えるか」という事であり、これは自分個人の「アイデンティティ」なのだそうで、それは『過去の自分を引き継ぎ、未来の自分を見据えながら、今の自分を考える』
つまり、アイデンティティには「連続性や他の人との違いが必要なので、変わらないと考えられる」のだそうです。
ではどうにもならないのかというと、救いはあるとかで・・・
自問自答などの「心の努力」によって、性格の欠点を表面に出さないように、包み隠すことができるそうで・・、
目下私は「自問自答」の毎日です。
09. 人生とは何ぞや!の追及
人は問う「今からでも人生はやり直せるか?」
人は答える「人間は自ら作るところのもの以外の何物でもない」そう答えた人物は哲学者のサルトルであると、人文書院から出版されている『実存主義とは何か』という本の中で伝えています。また、筑摩書房から出されている『悦ばしき知識』の中で、ニーチェは「身体が衰えても、人が長く生きる意味は何なのか」という質問に、「生きるとは、死のうとする何ものかを、絶えず自分から突き放すことだ」と、答えていると書かれています。解ります?
始め私はなんとなく解ったような気がして。「そうか」と思ったのですが、後でよく考えてみるとサッパリ解らなくなって・・・それは当然かもしれません、哲学とは答えのない学問で、自分自身で人生における様々な問いをみつけ、そのうえで自分自身で答えを見つけようとする学問だからです。サルトルのニーチェも、答えの中で「何」という言葉を使っています。この「何」という文言こそ、哲学のコアなるキーなのでしょうか。
私はこの「何」を追及することこそ、哲学ではないのだろうかと、お粗末な私の頭で考えたりしてみましたが、正しいかどうか全く解りません。俗に哲学とは「人生とは何ぞや」と思考するものだと私は受け取ってきました。哲学研究科のある人は言います「哲学とは、よるところ自分に問いかけることの積み重ね」で、又ある学者は「哲学に答えはない、自分なりの答えを見出すまで深く自ら考える、その積み重ね」だそうで、私には、もう難しくて・・・
「人付き合いはしなければいけないのか」という問いに和土哲郎は、岩波文庫に収められている『人間の学としての倫理学』の中で「人は世間において人であり、世間の全体性を人において現すゆえに、また人間と呼ばれるのである」
と答えています・・・・・・・もう、ゴメンナサイ!
08. 仏の顔・童女の笑顔
これは一人の人物の表情二態です。その人は当時、現代の女流日本画家として高く評価され、芸術院会員で国からも表彰されているほどの経歴を持つ方でした。私がお目にかかった時、95歳で、絵を描かれていました。それも作品としてではなく俗にいう所の習作、勉強のために描いている絵でした。その時の画家の表情が今でも心に残っています。
一心不乱に絵に向かっている姿と併せて、まさに無我の境地で…仏の顔とはこういう顔なのでは!?と、思うほど、雑念のない世界にいる存在の人でした。描き終わって「私、絵が下手だから毎日描いていないとだめなのです」と、言われました。私から見れば、絵が下手であるはずがないと思うのに、ご本人が真顔でそう言われた後「でも、今とても楽しいし、何の悩みもないので、時々、私はこのまま永久に死なないのではないかと思うことがあります」
その時の笑顔が、よくいう所の汚れを知らない童女の笑顔のような・・・わたしにはほかの表現をする言葉もない。
それでいて暖かい笑顔をされていました。一つの道を究めた人は心が「無」になるのでしょうか。
芸術院会員の人が絵が下手なわけはないと思います。でも終着点がないと言わるる芸術の道を歩き続ける、芸術家ならではの思いであり「心」の有り様なのでしょう。その時、私は『もうこの方は、人間世界を超えた、別の場所に住む人となっているのだな』と感じました。
今から何十年も前の体験なのに、現在でも目を閉じると、その方の「仏の顔と、童女の笑顔が」よみがえってきます。それほどのインパクトのある表情をわたしはこの時以外、後にも先にも経験したことがありません。
「心」の持ちようで、人は大きく変わる・・それは、一筋の道を歩き続けることで、
私はいつも思っています。
07. 妄想力はヒトだけのもの
ある調査機関が「自分に足りないと思う『力』は何か?」というアンケートをしたところ、第1位が『語学力』第2位が『経済力』第3位が『記憶力』でした。実に現実的です。妄想力というのは、どこにも見当たりませんでした。しかし、『妄想する力』こそ、人類が発展した基だという研究があります。霊長類のヒトとチンパンジーは、遺伝子で見ると99%は同じだそうで、また、チンパンジーの考える能力は、ヒトの4歳から5歳くらいのレベルだという研究もあります。
ヒトとチンパンジーとの現在の差はヒトが妄想力を持ったのに、チンパンジーを始め他の霊長類に属する動物たちが持ってなかったからだと考えられるそうです。
妄想力をもつ事で、ヒトは人になったのです。とてつもなく、とんでもないことを妄想する『力』こそが、文明を産んだといえるのです。ありえないことを考える、世にいう大発明、大発見の数々は、まさにこの妄想力によるものです。
その妄想力の根源は何かといえば「心」にあります。何かを思いついたり、新しい方法を発見したりするとき「心」が動いて、その結果「脳」が働いた瞬間だと思います。妄想力は誰にもあります。要はその『力』を使うか、使わないかで人生が大きく変わるという事です。
私は今、自分に言い聞かせていることがあります。その一つは、確かな人生の目的を持って、それを実現させるための努力を惜しまない。もう一つは、自分の「心」の中に、自分のためだけの、地球上でもっとも高い山といわれる「エベレスト」を持ち、その頂上に立つことを目的とする。と、いうものです。まさに妄想です。しかも持続させなければ結果は出ません。
「心」がそれを求め続ければ、もしかして・・・・と、・・そんな気持ちです。
06. 「なんとかする」「なんとかなる」の心の差
このことで強く印象に残る体験をしています。もちろん私の事ですから失敗体験です。自分んで発案した日本独特の文化を国内外に広げることを目的としたプロジェクトを立ち上げ、かなり入れ込んだ精神状態で「何が何でも成功させる」と、いう・・十数年前のことです、必ず「何とかする!」と決意して、強い自意識でプロジェクトを推進したのです。
失敗した原因は、私のこの強い自意識でした。自分では、自分に厳しくしていたつもりなのに、知らず知らず協力者たちに、強く当たってしまい、一人去り、二人去りで、、、結局駄目になりました。要求の仕方が一方的で、周囲の人たちの心が見えていなかったのです。
今、思えば、協力者関係者の人達もその人たちなりに全力で頑張っていたのに・・それが理解できなかった自分の心の狭さです。あまりに強い思い込みはいけないことだと知らさ亞れた事柄でした。何事も一人ではできないのに、私だけが空回りしていたというわけです。考えてみれば、他人に厳しくして、自分を甘やかしていたのです。つまり他人をアテにしてるから、協力者にアレコレ要求が強くなるわけで、これでは私が、その人たちに信頼されるわけがないのです。もし私がその時「何とかする」ではなくて、強い自意識を捨て「何とかなる」の心で、自分に厳しく、関係者には優しく・・・当面、一人でもできることを、他人をアテにしないで、一心に努力していたら・・どうだったでしょうか。
やがて信頼されて、私のところに人が集まってきて、関係者たちから自発的な協力が得られ、事業が成功したかもしれません。心の持ち方一つで『な』『す』の差はかくも大きなものだと、今は感じているところです。
05. 貧血で知った生と死の間
若いころ、低血圧からくる貧血で、何回か倒れた事があります。私の場合は、心に重いものを持った時に貧血を起こし倒れるというパターンでした。つまりは気の弱さから、ひっくり返ったともいえます。大学生四年の時です、大学を卒業するにあたって「卒論」卒業論文を書かなくていけなかったのです。しかし、テーマがなかなか決められず、筆を持つどころの騒ぎではありません。提出の期日は迫るのにサッパリ書けない、イライラの連続で、そのイライラのために尚論文が書けない、そんなスパイラルの中で、とうとう提出日。その時が来てしまいました。ともかく担当の教授に逢って話さなければ・・
重い心で学校に出かけ、コンクリートの廊下を歩いている時に、「フッ」と意識を失って倒れてしまいました。私が気がついた時は病院のベッドの上でした。倒れて三日目の事でした。硬いコンクリートの床に、したたか頭を打って大量の出血をした重い症状だったとかで、三日間意識を失っていたわけですが、その時に体験した事です。
生きてきた今までの中では、こんなに安らかで、気持ちの良い思いはなかったというくらい、心地の良いい状態で横たわっている自分がいるのです。もちろん幻想です。周囲は全体バラ色で花園に寝ている感じでした。ふと遠くをみると、生前私をとても可愛がってくれた祖母が、手招きをしているのです。その時、祖母の方に気持ちが行っていたら、私は死んでいたでしょう。耳元で大きな声を聞いたような気がしたとき、目が覚めました。母が耳元で私の名前を呼んでいたのです。この時の体験で「死ぬ」というのは、怖いことではなく、楽な事だと思うようになりました。「死」というのは現世から来世に「心」が移動するターニングポイントなのだろうと今では考えております。その結果、生きる責任と、そのありがたさを「心」に深く持って、天命が来るまで前向きな「心」で、人生を歩いて行かなくては、いけないのだろうと自分に言い聞かせているところです。
04. 恋と愛
私の大きな欠点の一つに「軽仏の言葉に「広大無辺・大慈・大悲」というのがあります。仏教の祖といわれる「シャカ」の言った言葉かどうかは、私は仏教に詳しくなく、また、不勉強なので解りませんが、私にはなぜかこの「広大無辺・大慈・大悲」という文言が心に残っています。
その昔「シャカ」の存在した南インドで使われていた言葉は、サンスクリット語で、この言葉には文字が無かったそうです。物の本によると、サンスクリット語では「心」の事を「ブツ」と発音したとかで、後に「シャカ」の教えがインドから中国に伝わったとき、「ブツ」と同じ発音の感じである「仏」をあてはめたと読んだ気がしますが、記憶違いかも知れません。私には仏の心の世界にあこがれるものがあります。それは私の心の世界とは、とても遠い存在の世界だからです。「広大無辺・・“広く限りない・心・”努力すれは持てるのか・・」、「大慈・・”大きく慈しむ・心・“持てるものなら持ちたい」でも、二つとも私には無理だ。
そして、これです「大悲・・“大きく悲しむ・心・”」もう、これはギブアップです。そして、フト・・「仏に何と悲しむことがあるのか、大きく悲しむとはどういう事なのか?」疑問が浮かびました。<我々凡人には、悲しむ事柄は生きていれば数多くありますが、仏の世界に悲しむ事があるのか・・>というものです。「大悲」とは、仏が悲しんでいる人と同じ心をもって共に悲しむ。という大きな慈悲の心を言ったものだと書かれていました。もうこうなると私ごときには駄目です。悲しみに打ちひしがれている人に同情し、なぐさめる事はできるとしても、それは仏から見ればうわべの事で、悲しんでいる人の心を真から救う事など出来ないからです。
「広大無辺」<努力すれば、もしかして・・>、「大慈」<優しさや温かさを超える心>・・・駄目だ両方共、まして「大悲」・・・なる心など、私には遠い遠い世界です。たとえどんなに努力を重ねたとしても・・・
03. 広大無辺・大慈・大悲
私の大きな欠点の一つに「軽仏の言葉に「広大無辺・大慈・大悲」というのがあります。仏教の祖といわれる「シャカ」の言った言葉かどうかは、私は仏教に詳しくなく、また、不勉強なので解りませんが、私にはなぜかこの「広大無辺・大慈・大悲」という文言が心に残っています。
その昔「シャカ」の存在した南インドで使われていた言葉は、サンスクリット語で、この言葉には文字が無かったそうです。物の本によると、サンスクリット語では「心」の事を「ブツ」と発音したとかで、後に「シャカ」の教えがインドから中国に伝わったとき、「ブツ」と同じ発音の感じである「仏」をあてはめたと読んだ気がしますが、記憶違いかも知れません。私には仏の心の世界にあこがれるものがあります。それは私の心の世界とは、とても遠い存在の世界だからです。「広大無辺・・“広く限りない・心・”努力すれは持てるのか・・」、「大慈・・”大きく慈しむ・心・“持てるものなら持ちたい」でも、二つとも私には無理だ。
そして、これです「大悲・・“大きく悲しむ・心・”」もう、これはギブアップです。そして、フト・・「仏に何と悲しむことがあるのか、大きく悲しむとはどういう事なのか?」疑問が浮かびました。<我々凡人には、悲しむ事柄は生きていれば数多くありますが、仏の世界に悲しむ事があるのか・・>というものです。「大悲」とは、仏が悲しんでいる人と同じ心をもって共に悲しむ。という大きな慈悲の心を言ったものだと書かれていました。もうこうなると私ごときには駄目です。悲しみに打ちひしがれている人に同情し、なぐさめる事はできるとしても、それは仏から見ればうわべの事で、悲しんでいる人の心を真から救う事など出来ないからです。
「広大無辺」<努力すれば、もしかして・・>、「大慈」<優しさや温かさを超える心>・・・駄目だ両方共、まして「大悲」・・・なる心など、私には遠い遠い世界です。たとえどんなに努力を重ねたとしても・・・
02. ふりまわされて
私の大きな欠点の一つに「軽々しく思い付きを語る」クセガありました。早い話が薄っぺらな「夢を見る旅人」でした。発想は私にとって夢で、思い付きで、その時は本気で実現できると思い込んでいて・・本気で人に話すものだから、初めは皆、真剣に聞いてくれますが、実現したためしがないので、イソップの「狼が来た・・」の少年の如く、しまいには「又か、、」となって私の言葉を誰も信じてくれなくなりました。でも私は当時、悪気はなかったのです。「悪気がなかったのが一番悪いことだったのだ」と、今では思っています。人の信頼を失った結果、仕事に大きく影響が出て、いつも土壇場で駄目になる。それが続いた時に、やっと自分の薄っぺらさに気付きました。でも、それは遅すぎました。しかし、仕事をして生きていかなくてはならない、、どうしたら良いのか、、目の前が真っ暗でした。そんな時、突然高校時代の担任の先生から連絡があったのです。何十年も逢っていないのに「風のうわさで聞いた」と言って・・「お前に話がある。出てこい!」、有無を言わせない強い言葉にシブシブ先生の自宅に行くと、いきなり大声で「このバカヤロー」と一喝。その後、諭すように「お前は、豊かな発想力があるが、実行力が乏しい。少しも進歩していないな」・・・私には思い出があります。当時ツッパラかっていた、私を押さえ捕まえて、教室で振り回されたことがあります。その後、別室で二人になると「お前は本当はそんな奴じゃないのに、なぜ自分をごまかしているんだ、素直になれ!」と、諫めてくれたのです。家に帰って、『自分の心と向かわなくては駄目だ』そう決意して始めたのが、自分の心の中に“自分A”と“自分B”を置いてケンカさせる事です。これは苦しい。何が苦しいって自分の性格の欠点を自分で直そうとする事・・でも、やり遂げなくては・・・
現在まだ努力中です・私が薄っぺらさから抜け出せるのは、いつでしょうか。私には解りません。
01. 逃げの「迷い旅」
人生は「迷い旅」の連続だという事をかつて目にした事があります。私の場合もその連続でした。ふり返っても満足な「足蹠」を一つも残していない人生です。この世に60年以上生きているのに・・・その原因はどこにあるのかと、我が身に問いただした事があります。原因は私の心の様々な「弱さ」です。弱さの一つに「逃げ」があります。かつて、私はカレーショップを経営しましたが、ロケーションの悪さもあってサッパリでした。何とかしなくてはと、いろいろPRやアピールをしましたが駄目で、一年でツブレました。
「ここまでやったのに・・・」これが私の弱さの「逃げ」です。トコトン客が来るまで努力すべきで、止めたら「客が来ない」という「カベ」は突破できないのに・・永遠に、私はその後もいろいろ挑戦しましたが、常に私の「逃げ」で失敗・・・
事が上手くいかなくなると、つまり「カベ」にぶち当たると、もっと良いやり方が他にあるのではないかと思い別の方法を考えてしまいます。本人は真剣に「これが努力だ」と自分に言い聞かせて・・で、方法を変えて上手くいったかというと、何一つ結果が出ないありさまでした。「これが駄目なら・・こうやってみよう・・やっぱり駄目か~じゃ、これならどうだ!駄目か・・止めよう」この連続でした。駄目なのは自分の考え方で、これは明らかに「逃げ」以外の何物でもなかったのです。「カベ」が立ちふさがったら何回でも体当たりして、全身血だらけになっても「カベ」を打ち破って進む以外に道はないのに・・・
「迷う」というのは「心をヨコ」に動かしているので、解決にならない。迷わず「カベ」に体当たりするのは「心をタテ」に動かしているので、必ず結果が出るという事をやっと解ってきました。いま、私は自分自身の「心の弱さ」を体の中から追い出そうと思い、遅まきながら話題の「マインド・フルネス」を行っています。残りの人生で「心をタテ」に動かせるようになるために。